エッセイ目次
 日々の生活から        
 遺伝子組換え作物について  遺伝子組み換え問題の本質は何か
 ガンジーが遺した言葉の種
   非暴力とは糸車である
                    粘土団子の種蒔きと空爆
                    忍耐と持続力
                    半農半X
                    新千年紀とガンジー思想
                    欲望を愛で置き換えて
 インドでの暮らしから      鶏と教育(育てて食べてはいけないのか
                   食生活について感じた事あれこれ

遺伝子組換え問題の本質は何か

 栽培を阻止することを目的に、安全性が確立されていない、危険なものである、交雑の可能性があるという科学的な視点での論議が中心になされていますが、なぜ私たちは科学者の見解を「正しい」こととして受け入れなければならないのか、モンサントの狙いは何か、そもそもなぜ遺伝子組み換え作物が開発されるようになったのかというもっと深い部分にも目を向けることができればと思っています。というのも、科学的に安全かどうかの議論になっていくと、はっきりしていないだけに水掛け論になっていく危険がありますし、分別を徹底すれば良いとかの議論になっていくと、身近なものであったはずの食品がますます消費者の手から遠のいていくからです。

 モンサント社は、遺伝子組み換えが飢餓から世界を救う技術であると宣伝していますが、現在多く栽培されている遺伝子組み換え作物は大半が、飼料作物です。これは肉食の広がりにともなって、需要が増大しており、今後も儲けが見こまれるからです。しかし、肉食の増大こそ食料危機の原因となっていることはよく指摘されることです。
 雑穀が見捨てられ、小麦、トウモロコシ、米などわずかな種類の穀物に人が頼るようになり、そのことによっても種の多様性が多様な文化と共に失われています。そして、遺伝子組み換えの技術はそのような流れをますます推し進めるものでしかありません。

 私たちは今後どのような社会を求めているのかという議論が欠かせないと思います。
 高齢化、後継者不足という今の農業が抱える問題も、工業化のために農村からの労働力が必要であったこと、労働者を消費者にするためにその賃金で購入できる安い食品が必要であったことに由来します。このような事情から農産物の価格が低く据え置かれ、そのために農業では生活できなくなり、後を継ぐものがいなくなったのですから。
 ですから、除草剤耐性遺伝子組み換え作物は、農業の省力化を推進し、高齢化、後継者不足の問題を解決するというごまかしにだまされないようにする必要があると思います。なぜなら、先に上げた根本的構造を変えていかないかぎり、それは延命策ではあるかもしれませんが、解決策にはなり得ませんし、除草剤によって環境を破壊するものであるからです。

 そもそも研究とビジネスが結びついたところに、モンサント社が暗躍するような今の問題が生じているのですが、日本の研究機関がモンサント社などと共同研究をし、日本の農業を外国に牛耳らせようとしていることに危機感を覚えますが、国立研究機関が独立行政法人化されたことも、この問題の背景にあるような気がしています。金になる研究をしなければならないというプレッシャーが高まっているようです。

 これらを踏まえて私たちは、遺伝子組み換え反対の声を上げていかなければならないのですが、社会構造上の問題を考えたとき、ある人々、集団を悪者に仕立て上げて攻撃するようなやり方よりもむしろ、自分たちのライフスタイルに目を向けた取り組みが重要ではないかと思っています。

 例えば、外食産業やファストフードに頼らずにはいられない今の生活はどこから出てくるのかと考え、ゆとりを持って生活を楽しむ生き方はどうすれば可能になるかと模索していくことが必要でしょう。そうして、オルタナティブな生き方を実践する人が増えていくにつれ、社会構造にも変化がもたらされるのではないかと思っています。社会構造そのものを変えていかないかぎり、遺伝子組み換えの問題も尽きないでしょうし、遺伝子組み換えとはまた別の問題が生じるかもしれません。いつまでたってももぐらたたきは終わらないような気がするのです。

 今回のように大きな問題が生じると、綿を育てて糸を紡いでいる場合じゃないとつい、浮き足立ってしまうのですが、このようなときだからこそ、綿を育てて糸を紡ぐ場合なのだと肝に銘じて、地道な取り組みを継続していきたいものです。


エッセイ:ガンジーが残した言葉の種


非暴力とは糸車である
 同時多発テロ以来の暴力の応酬に対して、心ある人々は、非暴力による解決を訴えています。このような人々の存在は、世界中で多くの人々が殺されているこの時代にあって、一条の光とも言えるでしょう。では、非暴力による解決とはどういうことなのでしょうか。暴力に対して異議を唱えるだけで非暴力(アヒンサー、不殺生)は達成できるのでしょうか。
 ガンジーは否と言います。「建設的仕事よりも、一般民衆の不服従運動を優先させたのは私の間違いでした。人を幸福にする鍵は労働にあります。我々は農民を奴隷扱いにしてきましたが、富の本当の生産者として、彼らこそまことの主人であります。今日、インドの真の兵士は、裸の貧民に衣服を与えるために糸を紡ぎ、恐るべき食料危機に備えて食物を増産すべく土を耕す人達であります。」このガンジーの言葉こそ、「非暴力とは糸車である」につながるのです。
 ガンジーも世の中の不正に対して、当初はストライキなどのいわゆる不服従運動を展開する事でそれを正そうとし、それなりに成果を収めてきました。しかし、不服従運動がエスカレートし暴力的になるに及び、ガンジーは不服従運動の限界に気づきました。各自の心の内に平和的な心情がしっかりと根付いていない限り、非暴力の世は実現できないのです。目には目をと仕返ししたくなる気持ちを昇華し、敵をも愛することのできる愛の人になるためには、神を信じ、祈る人とならねばならないというのがガンジーの主張でした。
 糸車を廻し糸を紡ぐ際に心が平安でなければ、良い糸を紡ぐことができません。苛々していたのでは、糸が切れてしまいます。無心になって糸を紡ぐ中で神との対話が生まれます。だからガンジーは糸車を非暴力の象徴として崇拝していたのです。
 また、糸車は経済的差別をなくす道具でもあります。「富が労働の集積というのは、まさしくそのとおりである。ところが一人が労働すれば、別の人がその汗の結晶を掻き集めるのが普通である。そして学者たちはそれを分業と呼んでいる」(トルストイ) 私たちは国際的分業という美辞麗句に惑わされないようにしなければなりません。貧困がテロリズムの温床になっているという指摘があります。余談ですが、貧困な国々にイスラム教国が多数あることも注意する必要があります。マレーシアのような経済的にある程度豊かである国は、イスラム教国であってもテロリストは目立ちません。イスラム教は愛の宗教だというガンジーの主張を待つまでもなく、テロと宗教を結びつけるのは間違いでしょう。テロをなくすには南北の格差を是正し、貧困を撲滅しなければなりません。そのためには、私たちが他人の「汗の結晶を掻き集める」行為を辞めねばならないのです。非常に安い値段で売られている輸入品を購入する中に、実はこのような加害行為が潜んでいるのです。労働者に正当な賃金を支払っている物しか購入してはなりません。しかしもっと言えば、自らが労働者になるべきなのです。生活の必需品は自らの労働によって生み出すことを理想として、一歩ずつでもできることをやっていきたいものです。
 南の国々に貧困がはびこるならば、北の世界には退屈が蔓延しています。私たちは退屈だから刺激を求めて、退廃的な生活を送ってしまうのです。「労働ほど人間を高尚にするものはない。人は労働なくしてはその人間的尊厳性を保持することはできない」(ジョン・ラスキン)「労働してはじめてわれわれは、一つの非常に素晴らしい、純粋な喜びを知ることができる。それは労働のあとの休息であって、労働が烈しければ烈しいだけ、休息の喜びも大きいのだ」(ルソー)人生の本当の喜びを味わうためにも、私たちには歯車の一つではない本物の労働が必要です。糸紡ぎを日課とする中で、私は日々感動を味わっています。そしてこの感動を多くの人と分かち合いたいと思っています。
 このように糸車が、人々に生きる歓びを与える道具であり、加害者と被害者に分かれてしまった人々を対等な立場で結びつける道具である事も、糸車が非暴力の象徴であるゆえんです。「非暴力とは糸車である」この言葉を噛み締めながら、これからの人生歩んでいきたいものです
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粘土団子の種蒔きと空爆
 テロに空爆と今年は暗いニュースの多い年となってしまいました。しかし、ガンジーの非暴力思想を引き合いに出すまでもなく、どのような大義名分があろうとも暴力に暴力で応戦していたのでは平和を実現することはできません。また、危機的状況にある地球環境という視点からも、空爆という破壊行為は許されておりません。
 皆様は自然農法の父、福岡正信先生をご存知でしょうか。先生には訳書「ガンジー自立の思想」の推薦文も書いていただきましたが、砂漠に種(種を粘土で包んだ粘土団子)を蒔く活動をされています。粘土団子にするのは、鳥に食べられる事を防ぐためと、吸水性と無菌状態という発芽の条件を整えるためだそうです。砂漠に粘土団子を蒔くと、夜露の湿り気を帯びる事で、まず種から1本の根が出、その根は地中の湿り気を求めて地下に伸び、根が生育に十分な水分に届いてから芽を出すので、旱魃でも枯れないそうです。
 以下、福岡先生の言葉を引用させていただきます。
 「急ピッチで進行しつつある砂漠化に対して一本一本の苗木を手植えして水をやるといったところで、点作業では到底間に合わない。水は上からやればやるほど土は固まり、根が地下へ下りていくことを妨げる。私の提唱する粘土団子を一挙にしかも広範囲に散布すれば直根は地下の水を求めて下へ下へと根を伸ばして行く。爆弾を落として人殺しをするより、それだけの費用を粘土団子の空中散布に費やしてはどうか。カルカッタの町に溢れるあのすさまじい人間エネルギーを砂漠の無人の境に移して発散させる方法はないのか。これが自然への奉仕であり、神に捧げる唯一の贈り物だと自分は思う。
  ガンディーの教え如何と人問わば、チャルカ廻して種を播くこと」(以上 インド40年‐展望と回顧、牧野財士著 よろず医療会ラダック基金発行に紹介(P275)された福岡先生の言葉より)
 自然農法を砂漠の緑化に応用して欲しいという依頼ではじめた粘土団子蒔きですが、福岡先生が最初に行かれた国はアフリカのソマリアだったそうです。難民キャンプの子どもたちを中心に種を蒔くと、いろいろな野菜が育ったということです。しかし、その翌年内乱が起こり、以後ソマリアは無政府状態となってしまいました。援助物資を守るためのアメリカ兵の鉄砲が馬賊に奪われたのが内乱のきっかけだそうです。武器にできるのは、人を殺す事だけです。本当に人の命を救おうと思えば、それは命ある種を蒔く事でしかできません。
 地道な取り組みも、武器、爆弾のせいで、一瞬にして打ち砕かれてしまいます。
 地球環境は危機的状況にあります。私たちに残された時間は多くありません。この10年が勝負だと福岡先生も言われています。地球を緑の楽園に蘇らせる地道な取り組みが何よりも必要な時に、すべてを焼き尽くす爆弾の雨を降らせる行為の愚かさに私たちは気づかねばなりません。今多くの人が飢えに苦しんでいるなかで、地雷や不発弾という負の遺産が残るような行為が許されて良いのでしょうか。
 ここでガンジーの言葉を引用させてください。
 「建設的仕事よりも、一般民衆の不服従運動を優先させたのは私の間違いでした。人を幸福にする鍵は労働にあります。我々は農民を奴隷扱いにしてきましたが、富の本当の生産者として、彼らこそまことの主人であります。今日、インドの真の兵士は、裸の貧民に衣服を与えるために糸を紡ぎ、恐るべき食料危機に備えて食物を増産すべく土を耕す人達であります。」
 ですから、「ガンディーの教え如何と人問わば、チャルカ廻して種を播くこと」となるわけです。福岡先生は、砂漠に蒔くための種を集めていらっしゃいます。かぼちゃの種など普段は台所でごみとして捨ててしまっているものを、洗って陰干にして種類ごとに紙封筒に入れて送って欲しいという事です。
 爆弾や地雷ではなく、命がある希望の種を蒔く運動を大いに盛り上げていきたいものです。
 種の送り先など、お問い合わせはメールでお願いします。
                                  (2001.12.13)
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忍耐と持続力
 「小さな改革もできない者が、大きな改革をなせるわけは決してありません。自分に与えられたものを最大限に利用する者が、自分にできることをさらに増やしていきます。そして、かつては大きな改革に思えていたことが、実際は小さなものであることに気づきます」(ガンジー・自立の思想(地湧社)P.48)

人間の素晴らしさ
 種をまいて発芽するのに時間がかかるように、すぐに結果が現われなくても決して無駄ではありません。私たちは諦めるのが早すぎるのではないでしょうか。環境破壊が深刻な問題であることは誰もが認めるところです。しかし、そのために行動を起こす人は残念ながらあまり多くはありません。自分一人が何かやっても何になるだろうか。自分には何もできないと、やる前から諦めているのが現状ではないでしょうか。しかし、ガンジーも言っていますが、「自分に与えられたものを最大限に利用する者が、自分にできることをさらに増やして」いくのです。
 私は、インド滞在中にアジャンタ、エローラの遺跡を訪れたことがあります。特に山ひとつ分の岩肌を削って寺院を作ってしまったエローラの遺跡は、壮大というほかありません。あらゆる壁面、柱の一つ一つに精巧な彫刻が施してあります。一世紀以上の年月をかけて、幾世代もの人々がこつこつと手作業で彫刻を施したのです。多くの人が完成した姿を見ることなく亡くなったことでしょう。それでも、多くの人々のたゆみない努力で完成したのです。これを見たとき私は、人間とは何とすばらしいものだろうと感動してしまいました。本気になって、こつこつと続けていけば人間はこんなに素晴らしいものを生み出すことができるのです。
 同じように私たちも、自分の内にある力を信じて、こつこつと努力していくことが必要ではないでしょうか。綿を育てて、紡いで、織って…そんなことをしていたら、一生かかってやっと一着の衣類を得るのが関の山だと言った人もいます。でも、昔の人々にできたことが今の私たちにできないわけはありません。要はやる気の問題です。最初は失敗続きで、綿を栽培してもあまりたくさん収穫できなかったり、糸紡ぎも時間ばかりかかる割にはすぐに切れてしまう糸しか紡げなかったりします。それでも続けていれば、こつもわかってきます。一昨年よりは昨年、昨年よりは今年の方が仕事が速くはかどるようになります。今年は服地を作るところまでいけるのではないかと楽しみです。富士山に登るのに一足飛びに頂上に行くことはできません。一歩一歩進んでいくしかないのです。

幼い頃の思い出
 私の実家は商店街の一角にありました。向かいのお店では、おじいさんが黙々と印鑑を彫っていました。また、数件先のお店では、時計を修理するおじいさんの姿もありました。ずいぶん昔のことで、ぼんやりとした記憶しかありませんが、幼い頃の私はそのような作業を見ているのが好きでした。特に、彫りあがったばかりの印鑑に朱肉をたっぷりつけて初めて押印した試し刷りの紙に鮮やかな字体が浮かび上がる瞬間には、いつも感動していました。私も大きくなればこのような事ができるようになるのだろうかと思いながら、飽きもせずに眺めていたものです。そして、このようなゆったりとした時の流れが好きでした。
 しかし、学校に通うようになり、学年があがっていくにつれて、私の生活からこのようなゆったりとした時間はなくなっていきました。また世の中も、より速く、より多くを求める価値観に支配されるようになりました。このような価値観の変化は商店街を直撃しました。郊外に大型店がどんどん進出すると、商店街で買い物をする人はほとんどいなくなりました。商店街は寂びれる一方です。また、印鑑を彫るのも手から機械になりました。壊れた時計を修理することもなくなりました。

根気を養うこと
 糸を紡ぎ、織っていると幼い頃の記憶がよみがえります。あの頃のゆったりとした時の流れを思い出します。糸紡ぎ、機織りなども慣れればそれほど難しい作業ではありません。単調な同じ動作の繰り返しです。収穫した綿から種を取除く綿繰りなどは子どもでもできます。我が家の子ども達も、最初はものめずらしがって綿繰り機を奪い合うようにして手伝ってくれました。でも、しばらくすると飽きてしまって目もくれなくなってしまいました。根気が無いのです。飽きてきてもそれでも繰り返していくなかでしか、根気は養われません。今、子ども達を取り巻く状況といえば、スピードのみが求められるテレビゲームの刺激に囲まれ、学校でもこつこつと学力を養っていくよりは、お祭り的イベントをして楽しむことに重きがおかれるようになってしまいました。地味な作業に価値が見出せなくなっています。しかし、根気こそ、これからの世の中を生きていくのに大切な力となります。環境破壊を食い止めるにも、平和な世の中を実現するにも、レンガを一つ一つ積み上げていくような作業が必要だからです。せめて子どもたちには、根気強く取り組む親の背中を見せてやりたいと私は思っています。黙々と印鑑を彫るおじいさん、時計の修理に励むおじいさんの背中から私自身が多くのことを学ばせてもらったように、子ども達も何かを学んでくれるのではないかと思うのです。また、できるだけ子ども達と畑にも出かけて、種を蒔いて収穫までの過程を一緒に体験したいと思っています。ゲームのように、ボタンひとつを押してすぐに結果が出るものではないこと。地道な作業を繰り返したあとでしか収穫の喜びは味わえないこと。しかし、だからこそ収穫の喜びが大きいことを子どもたちに身をもって実感して欲しいと思っています。エローラの遺跡を作り上げた人々のように、たとえ自分が生きている間に成果が現われなくても、それでも百年後、二百年後に思いをはせながら、精一杯の努力を続けていける人に私はなりたいですし、子ども達にもそういう価値観を伝えたいものです。
 ガンジ-は糸紡ぎなどの労働と一体となった教育を提唱しましたが、根気を養うことが大切だと見ぬいていたからでしょう。
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半農半Xのエッセイ
半農は全ての人の義務

 農は全ての人の義務であると気づいたのは、6、7年前にインドで暮らしガンジーの思想に出会ったことがきっかけでした。それ以前は、環境問題に関心を持ってはいたものの、翻訳家の私が農業をするなど夢にも思っていませんでした。それでも、途上国でいろいろな経験もして、ガンジーの本も読んで、それまでの自分がいかに加害者だったかに気づき、家庭菜園を始めてみることにしました。
 そして、始めてみるととても気持ちがよいのです。土に触れることがこんなに心和むことだったとは。驚きでした。ほんの家庭菜園程度の規模だから言えることかもしれませんが、それが大切だと私は思っています。全農ではない半農の生き方なのですから。
 例えば、翻訳家としての自分の仕事を諦めてまで、農をやりなさいと言われると、反発も感じるでしょうし、そのような生活では、私の場合ストレスがたまると思われます。農業を専業にされている方は別として、今、多くの人(全ての人)に求められているのは、半農であります。農業とて、やりすぎることがあります。一般の人が農業をやりすぎてはいけません。半農で良いのです。自分と家族が食べるのに必要なだけの野菜が取れれば良いのです。自分が1年間で紡ぐことができるだけのワタが取れれば良いのです。ガンジーも言っています。「人は自分の義務さえ果たしておればそれで良いのだ。お節介にも他人の義務まで果たそうとするからおかしなことになってしまう。」と。自分のためだけの農であれば、私の場合、家族の助けを借りながら余暇を利用してやることができます。実際、座ってコンピュータの画面を見つめる仕事をしていますと、農作業がちょうど良い気分転換になります。そして、余暇を利用して気分転換にやる農作業であれば、自家消費用の作物とワタを作るための農業であれば、お金にならない、だからやっていけないという問題から開放されます。
私にとってXとは?
 次に、半Xであります。私にとって、Xは、翻訳家としての仕事と、ガンジーの思いを伝えることの2つに分けられます。お金をもらって翻訳をしている仕事がどうして、天の仕事Xなのだと言われそうですが、仕事をしてお金を稼ぐこと大いに結構と私は思っています。そのお金を何に使うかが、重要です。チャップリンもライムライトという映画の中で、「人生に必要なのは、勇気と、想像力と、少しばかりのお金」と言っているではありませんか。お金の亡者になってはいけませんが、お金があれば、立派な活動をされているいろいろな団体を資金面で支えることもできます。稼いだお金で天の仕事を支えるのであれば、これも立派なXだと思います。実際、次に挙げます、ガンジー思想を伝える活動をするには、どうしてもお金がかかりますし、本の出版にしても当初の買い取り資金がなければ実現しなかった夢であります。また、仕事でがむしゃらに何百枚も訳してきたおかげで、1冊の本を翻訳する力がついたのも事実です。人生何が幸いするか分かりません。
 ただし、その仕事が死を招くマイナスの仕事になってしまわないように、充分注意する必要があります。私も以前は何も考えていなかったので、お金にさえなればどんな仕事でも引き受けていましたが、最近は、収入は多少落ち込んでも環境破壊などに関わっていない仕事をとるようにしています。生活費を稼いでくれる夫がいるからできることと言われてしまえば、その通りであります。しかし、無駄な消費をするのでなければ、夫婦のどちらかの収入だけでも充分生活が成り立つ場合が多いのではないでしょうか。それであれば、夫婦の片方が仕事を辞めて、あるいは私のように少しの仕事をしながら農業(半農)をしてもよいのではないでしょうか。そうすることがこの時代非常に求められています。これ以外に環境破壊を食い止める道はありません。同じものを大量に作ろうとするから、農薬でもなんでも使用されます。工業製品に頼るから、大量生産、大量消費、大量廃棄が止められず、破壊が進むのです。農業と手仕事を復活させねばなりません。そのためには、仕事はほどほどにしてでも、農的な生きかたを始める必要があります。つまり、仕事とてやりすぎてはいけないということです。
天職に出会えて
 そして、私にとって、正真正銘の天の仕事と言えば、やはりガンジーの思いを伝えることであります。この思想に出会ってしまった者の義務として、まがりなりにも英語が理解できるおかげで、今まで埋もれていた思想に光を当てることができる者の義務として、やるしかありません。たとえお金にならなくても、私はこれがやりたいのだと思える仕事に出会えたこと。これほどの幸せはないでしょう。昨年1冊の本を出版しましたが、ガンジーの思想はあの本以上に深く、広範囲に及んでいます。本にしようとするとどうしてもページ数の制約があって、削除せざるを得なかった大切なガンジーの思いがあります。それも含めて、私は伝えていきたいと考えています。(エッセイ目次へ)(トップページへ

新千年紀とガンジー思想
プラスの仕事とマイナスの仕事
 2000年代に入った今、ガンジーの思想、糸車を廻すことは時代遅れなのでしょうか。これまでのような大量生産、大量消費、大量廃棄の生き方ではやっていけないということには、多くの人が気付いています。しかし、人口爆発という問題を考えれば、近代機械文明を否定するのではなく、技術を正しく用いることが必要とされているのではないかと反論されることもあります。
 そこで、原点に戻るためにガンジーが自給自足的生き方を目指すきっかけとなった本、「この最後の者にも」(ラスキン著)をもう1度読み返してみました。今回特に印象に残ったのは、「世の中にはプラスの仕事とマイナスの仕事がある」という言葉でした。「プラスの仕事」とは生命をはぐくむ仕事であり、「マイナスの仕事」とは死を招く仕事であります。「子育てにまさる仕事はない」とラスキンは断言していましたが、「子どもに時間を取られなければもっと良い仕事ができるのに…」と不謹慎なことを考えてしまうこともあっただけに、この言葉が深く心にしみました。
 田畑で作物を育てることも、生命を育むプラスの仕事です。子育ての次に大切な仕事であると私は思います。そして、衣を賄うために綿を育て、紡ぎ、織ることもやはり生命を育む、とても大切なプラスの仕事であります。糸車をまわすことで、予想される人口爆発に対処できるかどうかを数字を用いて証明することは困難ですし、私にはそのように証明することは重要だとは思われません。農業と手仕事は生命を育むとても大切な、人間がやらなくてはならない仕事であるということが重要です。
 ところが、現代にあってその農業がマイナスの方向に傾いています。化学肥料、農薬が使われることで、本来生命を育むはずの農業が、環境を破壊し、最終的には死を招くかもしれない「マイナスの仕事」に傾いてしまいました。それは、衣についても同じです。綿の栽培に大量の農薬が使われ、染色にも化学染料が用いられるようになって、衣類の生産も環境破壊を伴うようになってしまいました。しかも、私たち消費者の見えないところでこれらのことが行われているために、多くの人はそのような破壊が行われていることにすら気付いていません。だからこそ、物が作られるプロセスを知り、これらの仕事がプラスの仕事になるように手間暇をかけたやり方を復活させねばなりません。そのためには、まず自分から始めることです。
非暴力と糸車
 ガンジーは生活の必需品を自分たちの地域で、自分たちの手を用いて生産することが大切であると訴えました。すべての人がプラスの仕事のどれかに従事する社会こそ、ガンジーが目指した非暴力の社会です。ガンジーが非暴力の象徴として糸車を掲げたのも、このような理由からでした。
 沖縄のガンジーとも言われている阿波根昌鴻氏はその著書で次のように述べています。「殺し合いではなく助け合う。奪い合いではなく譲り合う。いじめるのではなく教え合う。それが実行できた時、心の幸せが生まれてくる。地球上の生き物がすべての資源や富を、平等にバランス良く分け合うようにすること。そしてすべての人が能力に応じて働き、必要に応じて感謝の気持ちで受け取れる社会が築きあがるまでは、この平和運動はやめられません」と。ガンジーが訴えたのも同じことでありました。平和運動と糸車はつながっているのではないでしょうか。
働くことの意味
 20世紀は便利さを追求した世紀でありました。そこには労働から解放され、より多くの物を所有することが幸福につながるという思いこみがありました。しかし、それで人々は幸せになれたでしょうか。勤労を卑しむ風潮が生まれました。ところが、労働を通してこそ人間は本当の喜びを味わうことができるのだというのが、ガンジー思想の真髄です。次から次へと尽きることのない欲望を満たそうとしても、きりがありません。自分自身の欲望の虜になるほどの奴隷状態は他にありません。このようなことをいくら追い求めてみても、人は幸せになれないのです。欲望を愛で置きかえなさいとガンジーは言います。労働を通してお互いに助け合う社会が実現した時に真の平和が訪れるのです。
 私は最近やっと自分がどのような仕事をすべきだったかに目覚めることができました。そして、綿の栽培でも、糸紡ぎでも本当にプラスの仕事だと思える労働に従事している時、私は心から歓びを感じることができます。
 そして、このような肉体労働に従事してこそ本物の文学、本物の思想、学問が花開くというのがガンジーの考えでした。科学的知識にしても、今日のように欲望の手先になってしまったのを改めることができなければ、そのような労働に従事しても本当の歓びは感じられないでしょうし、科学が人にとって本当に役に立つものともなり得ません。科学の進歩と思いこんできたものによってどれほど多くの負の遺産を背負い込んでしまったか、また、大切なものを失ってきたかを考えた時、糸車を廻しなさいというガンジーの主張は決してとっぴなものではなくなるのではないでしょうか。
 今私がやっていること、やろうとしていることは取るに足らないことかもしれません。しかし、それでも一歩ずつでも良いからプラスの方向に歩んでいきたいと思っています。(エッセイ目次へ)(トップページへ


欲望を愛で置き換えて ――ガンジー流清貧の思想――
腰巻一枚のガンジー

 ガンジーといえば、腰巻一枚をまとっただけの姿が有名です。彼はその格好でどこへでも出掛けて行きました。ロンドン滞在中、国王の前に出るときも、さすがにイギリスの気候は涼しいので腰巻一枚ではありませんでしたが、それでも手紡ぎ手織の質素な布をまとっただけでありました。半裸の行者と揶揄されたこともありました。
 ある時、一人の男の子がガンジーにこう言ったそうです。「僕のお母さんはシャツを作るのがとても上手です。立派なシャツをプレゼントさせてください」と。ガンジーは男の子に次のようにこたえました。「私には兄弟が大勢います。私だけが立派なシャツを頂くわけにはいきません」と。するとその男の子は「お母さんは、あなたの兄弟の分もきっと作ってくれるはずです」と言いましたが、ガンジーは「私の兄弟は、何千万人もいるのです。インドに住む貧しい人々みんなが私の兄弟です。あなたのお母さんが彼ら一人残らずに、立派なシャツを作ってくださると言うのであれば、私も喜んであなたのお母さんが作ってくれるシャツを着ることでしょう。」とこたえます。
 ガンジーは、手作業で衣類を得ようとしたから、腰巻一枚しか着ることができなかったのではありません。インドに住む、何千万人もの貧しい人々の姿を目にしたとき、たとえ手紡ぎ、手織であっても、たくさんの衣類を身につけることを拒むしかなかったのです。
 なぜ、貧富の格差が存在するのかを考えた時、その原因は人々の欲望にあるのだと思い至ります。人よりも多く得ようとする人がいて、本当に多くを自分のものとしてしまうから、少ししか手に入らない人が出てくるのです。人々が欲望の虜であることをやめれば、すべての人に食べるもの、着るものが行き渡るようになるでしょう。自分が呼吸をするための空気が手に入らなくて窒息死している人が地球上に存在しないように、食糧が商品であることをやめれば、飢える人もずいぶん減るはずです。
ガンジー流愛の実践
 貧富の格差を解消するためにお金持ちから無理やり富を奪っても、それは暴力になってしまい、決して長続きするやり方とはなりません。必ずいつか反動が来ます。一人一人の心が愛で満たされるように変わることが重要です。心が変われば、その人の生き方に変化が現れます。そしてそのような人が増えていけば、自ずと愛に満ちた社会が実現できるのです。社会を変えるにはこの順序で行くしかありません。ではどうすれば、人々の心を変えて行く事ができるでしょうか。それは、愛の実践であるとガンジーは説きます。そして、そのような愛の実践の一つとして、ガンジーはできるだけ物を所有しないようにしましたし、糸車を廻しなさいと訴えたのでした。
 糸車を廻すというのは、糸を紡ぐ単なる作業ではありません。祈りの時であり、愛の実践であるのです。インドの独立前後の時代は、ヒンズー教徒とイスラム教徒間の暴動が激化したときでもありました。ついにはインドとパキスタンが分離しての独立ということになってしまうのですが、暴動に心を痛めたガンジーは、暴徒と化した人々こそ糸を紡いで心に平安を取り戻すべきだと訴えました。憎しみも、怒りも糸を紡ぐ作業の中で昇華できると言うのです。心を込めて物を生み出す作業に携わる人が破壊に手を染めることは不可能です。糸を紡ぐ単調なリズムの中で神との対話が実現します。そして自分の内なる声に耳を傾ける時、進むべき道が見えてくるのです。このような心の変革をもたらせてくれる道具であるからこそ、ガンジーは糸車を非暴力の象徴であるとして崇拝していました。まさに、「糸車は一回転するごとに平和、親善、愛を紡いでいるのです」。それを理解せずに糸車を廻しても無意味です。
give and givenの社会を目指して
 give and takeということがよく言われますが、私はgive and givenでなければならないと思っています。人に何かしてあげれば、それと相応の報いを受けてしかるべきという考え方だと、社会的弱者は生きていかれません。彼らを救済するために福祉があるわけではありますが、そういう社会の仕組によらなくても、私たち一人一人の心に愛があれば、世の中はもっと暮らしやすくなるはずです。無償の奉仕ということをガンジーはよく口にしましたが、人はまず自立するために働くべきですが、それ以上に働く能力があるのであれば、その能力は社会奉仕のために捧げられるべきです。時には、何の見返りも期待せずに人のために働き、また別の時には、働いて得られた余分のものを他の人々と分かち合うのです。これが欲望を愛で置きかえるということです。だからこそガンジーはできるだけ物を所有しないようにしたのです。そして、このような生き方の中にこそ真の幸福、満足、喜びがつまっているのです。物を手放したことで、肩の重荷を降ろすことができたとガンジーは書いています。物がなくても、お金がなくても安心していられるのです。「空の鳥を見なさい、種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです」(聖書,マタイ6―26より)(エッセイ目次へ)(トップページへ

エッセイ:インドでの暮らしから
鶏と教育(育てて食べてはいけないのか)NEW!!
 何ヶ月か前の新聞記事で、鶏を育てて食べる授業をしようとしたら、保護者から反対の声が上がり、中止したという話を読みました。その記事を読んで私はインドでの生活を思い出しました。
 インドでは鶏は生きたまま売られています。停電の多いあの国では、生きたままというのが鮮度を保つ最良の方法です。私たち家族が住んでいたハイデラバードはデカン高原の真中に位置するため、魚はあまり良いものが手に入りません。そのため、生後三ヶ月でインドに連れて行った次男がやがて離乳食を食べ始めると、もっぱら鶏のレバーやささみを食べさせていました。生きた鶏をその場で殺してもらって、買ってくる訳なのですが、はじめて買い物に行った時は本当にギョッとしました。そして、ポンと手渡されるとまだ暖かいのです。その手触りが、まるで赤ちゃんを抱っこしているようで、鶏と人間という違いはあってもその骨格などは本当にそっくりなのです。当時赤ちゃんだった次男と比べながら、どこが違うのだろうと思ったものです。そして、ご免ねと謝りながら、それでも食べるとおいしくて。人間て勝手ですよね。ただ、そのことで命について本当に大切なことを学ばせてもらったと思っています。
 例えば、レバーとささみだけが欲しくても、あたりまえのことですが、鶏を1羽丸々買ってくるしかありません。当時は子ども達もまだ小さく、食べる量はしれています。しかも、胸肉、もも肉と分かれている訳ではなく、骨がついたままですから、料理に手間がかかります。それでも、なんとか工夫して食べきること。鶏の命を奪った以上、全てを無駄にせずに頂くことが、最低限の義務であることは私にもわかりました。このように他の命を犠牲にすることで、生きることができるこの自分の命だから、大切に生きなければと心底思ったものでした。鶏を殺す現場に立ち会うから残酷になることは決してないのです。むしろその反対でした。
 今、日本では食べ物が商品となり、命とのつながりが見えなくなっています。クリスマスには、鶏のもも肉をローストして食べる家庭が多いでしょう。骨付きのもも肉が飛ぶように売れています。それを見ながら、私は胸や手羽はどうなるのだろうと思ってしまいます。捨てられているのでしょうか。そして多くの人々は、そのような事に思いをはせることも、気づくこともなく、ローストチキンを食べるのでしょう。
 また、コンビニでは、賞味期限の切れたお弁当は捨てられています。鶏のから揚げ弁当などもきっとたくさん捨てられているのでしょう。これほど命を粗末にする事が他にあるでしょうか。家庭からごみとして出される食べ残し、残飯も相当な量にのぼるそうです。そのようなことを平気でしていて、「命を大切にしましょう」と口先だけで言っても、むなしいことです。
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食生活について感じたことあれこれ

失われいく食文化と本物の味
インドで暮らしていた家の庭には大きなマンゴーの木がありました。マンゴーの季節には本当にたくさんの果実が一斉に実りました。家族だけでは食べきれないので、近所の人に差し上げた所、そのマンゴーで作ったチャツネ(インドふうの漬物)をお返しに頂いたことがあります。日本人が毎年梅干をつけるように、インドの人々はマンゴーをチャツネにします。一度にたくさん取れるものを、年間を通じて食べられる保存食にする生活の知恵です。
 ところが、インドでも出来合いのチャツネが購入できるようになって、チャツネを自分の所でつくる家庭が減っていると、このインド人の奥さんは嘆いていました。インド料理には欠かせないスパイス類も、以前であればスパイスの実を臼で引いて粉にして使っていたのが、今では皆パウダーになったものを買って来て使うようになってしまって、インド料理本来の風味が失われしまった。今ではどんな一流のホテルに行っても本物の味を楽しめなくなってしまったとも言われていました。是非、本物のインド料理の味を知って欲しいということで、料理をご馳走していただいたことがありますが、本当においしかったです。インド料理は辛いのですが、ホテルやレストランで食べるただ辛いだけの味ではなくて、本当に風味が感じられ、日本人の私にもその違いが分かりました。貴重なありがたい体験でした。
 そういうこともあるかと思えば、別のインド人からは、日本人はカップラーメンという何と素晴らしいものを発明するのでしょうとお褒めの言葉を頂いて返答に窮したこともあります。インドで貿易の自由化政策が取られるようになると、早速インド人好みに味付けしたカップラーメンをもって進出してきたのが日本の企業です。お湯を注ぐだけの手軽さが受けて、子どものおやつにちょうど良いともてはやされていました。また、ピザやドーナツを売る店もどんどん開店していました。(さすがに、マクドナルドだけは、ヒンズー教徒は牛肉を食べませんから入ってきていないようでしたが…)
 日本人が伝統的な食文化を捨て去り、西洋型の食生活を取り入れ、加工食品の摂取も増やしてきたのと同じことが、今インドで日本をはるかに凌ぐ急激な勢いで起こりつつあります。多くのインド人はそれを近代化の一つの証として歓迎しているようでしたが、手遅れにならないうちにその誤りに気づいて、日本人の轍を踏まないで欲しいと願わずにはいられませんでした。
野菜よりもビタミン剤??
 インド滞在中、三歳になった息子(今では彼も小学四年生です)はインターナショナル・スクールの幼稚園に通っていました。そこには主に欧米の子どもたちが通っていました。幼稚園は8時から12時までで、10時に食べるおやつを持参することになっていました。ビスケットなど軽いスナック類を持たせていたのですが、他の子ども達は、ピーナツバターをたっぷり塗ったサンドイッチに人参のスティックなど、どう考えてもおやつと言うより一食分のお弁当と言うくらいボリュームのあるものを持ってきており、先生からもお宅のお子さんのおやつは少なすぎませんかと言われたこともありました。しかし、あまりたくさん食べると昼食に響くのにと不思議に思っていたところ、どうも他の子ども達は朝食抜きで幼稚園に行っているらしいという事に気がつきました。全てとは言わないまでも、欧米の家庭にはかなりいいかげんな食生活があるようです。よく誘われて子ども達を連れて午後にはプールに行ったりもしましたが、プールサイドで3時ごろから延々とおやつを食べつづけて、夕食はどうするつもりかと思えば、子どもたちにビタミン剤を飲ませてそれで終わりという極端な例を目にした事もあります。確かにケーキなどのおやつ類には小麦粉、卵、牛乳などが入っているから、後はビタミンを錠剤で補ってやればそれで大丈夫。野菜嫌いの子どもに無理強いするよりもよっぽどゆったりと子育てができるのだから、この方が良いに決まっていると言われて唖然としたものです。
 インドのマーケットには本当に豊富な野菜がたくさん並んでいました。果物も豊富だし、とても豊かな国に見えます。それなのに、どうしてこんなにも物乞いする人々が大勢いるのでしょうか。せっかくたくさんの野菜が育つ国に住んでいても彼らはお金がないので手に入れることができないのです。
ガンジーと石臼
 ガンジーは糸車と同じように籾摺りに用いる石臼も村からなくしてはいけないと主張し、玄米食を奨励していました。「精米工場、製粉工場は、多くの貧しい女性の仕事を奪うだけでなく、さらに全国民の健康にも有害であります。肉料理を食べることに抵抗がなく、それだけのゆとりがあれば、白い小麦粉や白米を食べても健康を損なうことはないかもしれません。しかし、インドでは大多数の人々が肉料理を食べることができません。(中略)そのような中で、全粉粒や玄米に含まれる必須栄養素を取り去ることは非常に罰当たりなことです。医療に従事する人、その他の人々が白い小麦粉や白米を食べることによってもたらされる危険について人々を指導する必要があります。」とガンジーは書いています。村で栽培した米を原料として工場に売り渡すのではなく、村で自分たちが消費するために石臼で籾摺りを行えば、多くの女性が仕事につくことができ、栄養価の高い食べ物を自分たちのために供することができるというのがガンジーの主張でありました。
消えつつある雑穀
 一部では、玄米食と合わせて、雑穀食が見直されつつありますが、インドで夫は雑穀の一種であるソルガム、パールミレット(トウジンビエ)を使った研究をしていました。せっかくだからソルガムやパールミレットがどのような味なのか食べてみようということになって、買い物に出かけたのですが、売っているお店を見つけることはできませんでした。お店の人の話では、インドも豊かになったから、皆小麦を食べるようになったというのです。今でも雑穀を食べているのは貧しい村人ぐらいのものだ、村に行けば分けてもらえるかもしれないという話でした。なぜそんなにまでしてこんなものが欲しいのだと、半ばあきれられながらも、農村部へ連れていってもらって、何とか農家の方から分けてもらって手に入れることができました。それを粉にしてチャパティーにして食べました。腹持ちが良く、健康的な主食だと感じました。
 インドでも私たちが住んでいたハイデラバードは乾燥しており、小麦を育てるには無理があるような気候です。おそらく以前であれば大半の人々がソルガム、パールミレットなどを主食にしていたに違いありません。そして雑穀を研究する研究所ができたのでしょう。しかし、今では、雑穀の研究であればアフリカでやって欲しいと言われているそうです。乾燥に強い雑穀が見放されつつある中で、遺伝子組換えの技術が食糧危機を救う唯一の方法であるかのように宣伝されていることに大きな矛盾を感じずにはいられません。自然はその土地に合った、栄養価の高い作物をせっかく用意してくれていると言うのに…(エッセイ目次へ)        2000.9.18
                      ©2000 Kayoko Katayama


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