命をささげるほどの犠牲が伴う愛の実践はなかなかできないとしても、弱い立場の人に手を差し伸べる小さな愛の実践はできるのではないでしょうか?

この最後の者にも

「あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」

                           『聖書:マタイによる福音書20章14節』

1日働いた人にも、1時間だけ働いた人にも同じ賃金を支払った葡萄園の持ち主・・・

不公平でしょうか?

ここに、人間らしい社会のあるべき姿がある。能力に応じて働き、必要に応じて分配したらよい。

体が弱かったり、障害があったり、世話をしなければいけない赤ちゃん、介護しなければいけない家族を抱えている人もいます。みんながみんな、フルタイムで働けるわけではありません。しかし、人が一日生きていくためには、みんな同じように、食事もしなければいけませんし、衣服や家も必要です。なら、等しく分けあったらよいではないかというのが、この物語の背後にある考え方です。

「真の経済学という学問は、生命に導くようなものを望み、かつ働くこと、また破壊に導くようなものを軽蔑し、破棄することを国民に教えるような学問である。・・・生なくして富は存在しない。」『この最後の者にも』(ジョン・ラスキン)

ガンジーの言葉から

富を崇拝することを教え、強者が弱者を犠牲にして富を蓄えることを許す経済学は、偽りの出来の悪い学問です。それは死を招きます。本物の経済学は社会的公正を支持し、最も弱い立場の人々も含めすべての人が平等に利益を得られるものです。人の道に沿った生き方にそれは不可欠です。『ガンジー・自立の思想』地湧社P.113

アダム・スミスがその「国富論」で、経済現象を支配している原則を並べた後に、「阻害要因」を構成し、経済の法則が自由に働くのを妨げている他のことについてどのように述べているかご存じでしょうか。これらの阻害要因の主なものは、「人間的要素」です。カディー(手紡ぎ手織り綿布)の経済学はこの「人間的要素」にすべてをかけています。アダム・スミスが言うところの「純粋な経済上の動機」つまり、「人間の利己心」こそ克服せねばならない「阻害要因」です。  ハリジャン 34年9月21日

許容される最低賃金を定める提案がなされているのと同様に、社会のどんな人にも適用される最高賃金の限度額こそ定めるべきです。その場合の最低賃金と最高賃金の差は合理的、公正なものとし、時折変更も行い、この差をなくす方向で取り組んでいきます。(Trusteeship P.27)