原発事故について思うこと

 

 震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。この震災、原発事故をきっかけに日本が新しく生まれ変わることができれば、それが亡くなられた方への供養にもなるのではないかと思っています。そのような思いも込めて、今私が感じることを書きました。

 

 恐れていたことがついに起こってしまったと、残念でなりません。茨城県に住んでいた時は東海村の臨界事故が起こり、新潟(上越)に引っ越してからは、中越沖地震で柏崎刈羽原発に不安を抱きました。そして、原発を廃炉にするためにできることはやってきたつもりでした。ファックスを送ったり、葉書を出したり、署名をしたり、学習会に参加したり・・・でも、そんなに多くの時間を捧げたわけではありませんでした。もっとやれることがあったのではないだろうか・・と、悔やまれます。

 

それでも怒りを手放して

 原発の近くで一生懸命大地を耕してこられた方々は今どんな思いでいらっしゃるでしょうか? 避難してすむ問題ではありません。人と農地は切り離せないものです。まして、有機農業に取り組み、土作りをせっせとしてこられた方であれば、・・・。農家の方々の辛さ悔しさを思うと、本当にやりきれない思いがします。

 すでに相当の被害を出してしまった今となっては、一刻も早く放射能の放出を食い止め、これ以上被害が広がらないことを祈るしかありません。東電に対して言いたいことは山のようにありますが、怒りをぶつけるのは控えたいと思います。怒りからは良いものは何も生まれないからです。

 さらに、抗議電話をかけたとしても電話口で対応するのは、原発を推進して今日のような事態をもたらした張本人ではありません。本当に抗議しなければならない人に直接語りかけることは案外できない仕組みになっています。

 ならばむしろ怒りのエネルギーを、もっと建設的なことに使ったらよいのではないでしょうか? 放射能の被害で住めなくなった地域から多くの人々が避難してきています。新潟県内にもすでに1万人近い人々が避難してこられています。これからもっと大勢の人々が避難してこられるでしょうし、避難が長期化することが予想されていますから、いつまでも体育館で雑魚寝はできません。住宅を提供し被災者と地元の人々が手を携え、助け合って生きていく道を模索する必要があります。東電などに対して怒っている場合ではありません。

 

知足と譲り合い

 農地も少なくなりました。津波で被害を受けた農地が復旧するのにも時間がかかるでしょうし、放射能がそれに追い討ちをかけています。残された農地で採れるものを私たちは分け合う必要があります。雪国では、雪に閉ざされる冬場は漬物中心の食生活だったと聞きます。今のようなグルメ志向になってからむしろ、肥満などによる病気が増えたような気がします。来る日も来る日も漬物を食べて、そんなにご馳走を食べてなくても人は生きていけます。江戸時代は一日2食が一般的だったようです。だから食料が足りないとパニックになる前に分け合うことを、私たちは学ぶ必要があります。輸入に頼ることは、できればしたくありません。地球上にはお腹をすかせている人が大勢いるのですから。買いだめに走る前に分け合うということを学んだ時に、私たちは本当の豊かさが何かを知ることができると思います。

 今、被災地では店頭から商品が消え、ガソリンスタンドにもガソリンがなくなり、困っている人々が大勢います。救援物資を被災地に届けようと、大勢のボランティアが立ち上がっています。とても素晴らしいことです。さらに買いだめをやめれば、本当に必要とする人にもっと行き渡るようになるのではないでしょうか? そして、弱者優先の原則が確立されるようになると良いと思います。最近は上越でもガソリンは、1回3000円までとか、2000円までと制限されるようになってきています。しかし、旅行に行きたい人と、病院に行くためにガソリンが必要な人とでは切実度が違うでしょう。本当に困っている人に必要なものが届くように、譲り合いが行われるようなれば素敵です。つまり、たとえガソリンが手に入りそうでも、旅行はやめて、給油を控えれば、病院に行くなど切実な理由でガソリンが必要な人に行き渡るようになると思うのです。歩いたり、自転車に乗ることで、給油回数を減らすのも有効でしょう。

 

新しい生き方を

 幼子ほど放射能の影響を強く受けますから、乳幼児、妊婦さんを優先的に避難させてあげ、落ち着ける場所を確保することも大切です。怖い思いをした子ども達のケアも必要です。避難が長期化しそうなことを考えれば、お父さんも含めて家族揃って落ち着いた暮らしが避難先でできるようになる必要があります。お父さんはどんな仕事をしたら良いでしょうか?放射能で汚染された土地にはすぐに戻れそうにはありませんが、不況のこの時代に仕事を見つけるのは容易ではないでしょう。どこかに雇われた給料で家族を養うということに固執している限り、解決は難しいでしょう。しかし、生きていくのに本当に必要な物は何でしょうか? 避難所でまず必要とされるのが食料と毛布です。食べるものと着るものが直接手に入るなら、お金はそれほど必要ないということに、そろそろ気づいても良いのではないでしょうか?今までの生き方を根本的に変えていく時期が来ていると思います。これからは農的生き方の時代ではないでしょうか?大地を耕し、大地に根を張る暮らしを考えてみても良いのではないでしょうか?避難して来た人と地元の人が手を携えて、限界集落をもう一度生き返らせることを目指せば、震災で減った農地を補い、素敵な未来が待っているような気がします。

 

地域分散の時代

 たしかに巨大地震・大津波でした。しかし、せっかく地震や津波を生き延びることができたのに、寒さに震え、空腹を耐え忍ばなければならないとすれば、今の中央集権的システムに欠陥があるのです。拠点に物が集中して、そこから全国に発送されるシステムでは、流通がどこかで滞ると甚大な影響を与えてしまいます。どうも東北では、全てが仙台に集中していたようです。だから、日本海側はそれほど被害を受けていなくても助けられないようです。支援物資についても関西から山形・秋田に送って、そこから被災地を目指しているようです。あらかじめ秋田か山形など日本海側にも拠点があれば、ここまで物資不足には陥らなかったのではないでしょうか? 分散させておかないと、いざという時に大変なことになるのです。今は田舎でも家の裏の畑から採ってきた野菜を調理するのではなく、ほとんどがサラリーマン家庭となり、農地を持っていません、さらに農家もスーパーで買い物をする時代です。何でも買えるのは、手軽かもしれません。でも、それは、流通が滞れば何も手に入らないことを意味します。

 津波で家が流され、畑にも泥が積もれば、何もなくなってしまうかもしれません。それでも、津波が到達しなかった所に畑があって、米や野菜が貯蔵されていて、練炭や火鉢、炭があって、井戸があれば、遠くからの支援を首を長くして待たなくても、もう少し容易に助け合えるかもしれません。蛇口をひねれば水が出て、スイッチ一つで部屋が暖かくなる生活は便利ですが、脆さも抱えていることを忘れてはなりません。

 

身の丈にあった暮らし

 電気を巨大企業に頼る生活によって私たちは、安全と安心を失っています。日本中の原発を廃炉にしたいです。反対運動を頑張っても、廃炉になるどころか、新しい原発は建設されようとし、六ヶ所村には再処理工場もできてしまいました。署名をいくら集めても、電力会社には痛くも痒くもないようでした。では、私たちは無力なのでしょうか?電力会社から電気を買うのをやめれば、電力会社は消滅するしかありません。

 風力などの自然エネルギーを活用するというのも一つのアイディアかもしれませんが、私はむしろ電気がなくても暮らせる生き方を模索したいです。夜明けとともに起き、暗くなったら休むを基本にして、火鉢や薪ストーブで暖を取り、煮炊きにも薪や炭を使い、井戸水を利用するようにすれば、電力会社などに頼らなくても生きることはできます。地域分散型の小型水力発電くらいは必要かもしれませんが・・・こういう生活を通して里山がいかに貴重なものかがわかれば、山がゴミ捨て場になることもないでしょうし、自然も守られていくことでしょう。もう放射能にびくびくする必要もなくなります。原発は末端の労働者が定期点検などの際に被爆することを前提に運転されていますが、そのような被害も防ぐことができます。石油や水を求めて戦争することもないでしょう。身の丈にあった生活こそが平和で持続可能なのです。

 

降りてゆく生き方から、愛溢れる日本へ

 私たちはこれまで大企業に勤めて出世していくことが成功であると、思い込まされてきました。しかし、そうやってのぼって行く人生が私たちを幸せにしてくれたでしょうか?少ない椅子をめぐって競争し、勝ち続けないといけない人生はストレスいっぱいです。しかも、上司に逆らえば出世の道は閉ざされますから、命令されたことにはロボットのように黙々と従うしかありません。人間としての自由を失っています。そして、そうまで耐え忍んできた結果が、地球温暖化、環境破壊であるとすれば、なんと皮肉なことでしょうか。もう、こんな社会から降りる時です。

 放出されてしまった放射能は元に戻すことはできません。食品や水が汚染されれば、健康にも影響を与えるかもしれません。でも、過去を悔やんでも仕方ないように、未来を恐れて生きていくのももったいないことです。人生は何年生きたかということよりも、どのように生きたかが問われます。今現在、生かされていることに感謝して、この日本を少しでも愛に溢れる幸せな社会に変えていくことに全力を注ぎたいものです。これが日本に与えられた最後のチャンスのような気がしています。

 「世界に変化をもたらしたければ、自らがその変化になれ」とガンジーは語りました。今がまさに、大きく変わる絶好のチャンスです。被災者を支援しようという動きがあちこちで、自主的に立ち上がっています。避難民を受け入れたいと声を上げてくださる方も次々に現われています。もうすでに私たちは変化を起こしていると言えるでしょう。競争よりも助け合うことを大切に考える人が、増えています。今はまだ小さな点が点滅しているだけかもしれませんが、あちこちでその数が増えています。このような愛の灯に日本全体が暖かく包まれていきますように・・・