私たちのアシュラム

 ガンジーは、塩の行進の時に、警察官や公務員など、イギリスの手先のような仕事をしている人たちに、もうそんな仕事はやめて、私たちの仲間になれと言いました。そして実際に大勢の警察官や公務員が仕事をやめ、行進に加わりました。なぜそんなことができたのでしょうか。それは、アシュラムというものがあったからです。アシュラムというのは「道場」というような訳され方をしますが、もともとはヒンズー教の修行の場でした。ガンジーはそれを拡大解釈して、アシュラムで共同生活をしながら、自給自足の暮らしをしていました。農業や手仕事を通して、食べる物、着る物を得ていたのです。警察官や公務員を辞めて行進に加わった人たちは、ガンジーがインド各地に作っていたアシュラムに入っていきました。そこで農業をやったり、子どもたちの勉強を見てあげたり、そうやって生きていくことができたので、彼らは仕事を辞めることができたのです。また、ガンジーの独立運動では多くの逮捕者が出ましたが、彼らがなぜ逮捕されることを覚悟で非暴力・不服従を貫けたかというと、それもまた、彼らにはアシュラムがあったからです。たとえ自分が逮捕されても、妻や子どもたちはアシュラムの中で守られて生きて行けるという保障があったのです。だから逮捕を覚悟で不服従運動を貫くことができました。なぜ今私たちにそういう自由がないかというと、そういう場から切り離されているからです。
 たとえば江戸時代の大工さんは半農半大工だったと言われています。普段は農業をやっていて、家を建てて欲しいと頼まれた時だけ家を建てに行きます。ですからしばらく家を建てる仕事が途切れても、農業をやっているので食べる物はありました。だから生きていくことができました。ところが今の建設業の人たちはどうかと言うと、建てることしかやっていないので、仕事が途切れたらたちまち困ってしまいます。だからたとえ条件が悪くても仕事を引き受けなくてはならない場合があり、それだけ立場も弱くなっています。つまりどこかで大地とのつながりを持っておくということ、そこから衣と食という自分の生きる糧を生産する手段を持つことが本当の意味での強みであり、私たちが自由を取り戻すために必要なことなんです。だから今やらなければいけないことは、アシュラムのようなものを作っていくということだと思います。多くの人が自給自足に憧れています。自給自足の生活をすることは本当に大切なことだと思いますが、ひとりで全部やるのは大変です。だからやはり、アシュラムのようなコミュニティを作って、みんなで協力をして補い合って、お互いに交換し合う、そういう生活の場を作ることができれば、私たちはもう誰かに雇ってもらわなくても生きて行けるわけです。雇われなくてもいいのであれば、本当に自由にやりたいことがやれるようになります。そう考えると、今ぜひにでもやらなければいけないことは、アシュラムづくりではないかと思います。人間は一人ひとりがバラバラだと弱いです。そして競争社会にあって、他人を蹴落としてでも自分が生き残らなければという中で、私たちはバラバラになりがちです。私たちは一滴の水のような存在ですから、孤立すればあっと言う間に蒸発してしまいます。でも一滴の水から始まったガンジス川がだんだんと大きな流れになって最後は海に注ぐように、私たち一人ひとりが手をつないで集まれば、大きな海となり、大きな船を運ぶような大事業も可能になります。だから孤立した自給自足ではなく、仲間と手をつなぐ自給自足型の生き方を目指して行くことができたらと思います。