種から育てた和綿で作った手紡ぎ、手織りのマスクができました。
2枚重ねで、内側は生成り、外側は緯糸に藍の生場で染めた糸を使いました。
藍には抗菌作用があります。
通気性・肌触りがとてもよく、これからの季節には快適なマスクです。
しかし、これを商品にするつもりはありません。商品にするにはあまりにも愛着のあるマスクです。労力を考えれば、数千円で売ることはできませんし、マスクばかり作っていては、他のことができなくなってしまいます。
手仕事というのは、商品を作ることではないのです。
いくら高い値段で買ってくれる人がいたとしても、粗末に扱うような人の手に渡って欲しくはありません。
物が商品となり、大量生産品が増え、それにともない粗末に扱われるようになって、大量生産、大量廃棄、環境破壊へと進みました。
緊急事態宣言が解除されて、国道を走る車が増えてきています。
また、元の大量生産経済へと戻っていくのでしょうか?
田舎に住んでいても、商品販売や観光客を当てにした暮らしでは、
今回のコロナのようなことがあると、苦境に立たされてしまいます。
だから、また、賑やかさを取り戻したいと考える人が多いのもわかります。
しかし、それでは、元の木阿弥です。
本当に大切なことは、必要なものを自分で作る技術を取り戻すことです。
そして、作ったものを自分が使うことです。自分が必要とするものを、自分で作るのであれば、無駄がないです。
ただし、そのためには、一つのことだけでなく、いろいろなことができなければいけません。いろいろなことをするためには、マスクくらいは簡単に作れるようにならなければいけません。
人は楽な方に流れがちですから、料理・洗濯・掃除などの家事をして、服やマスクなどの小物も手作りして、農作業もして、さらには読書などの知的活動もしたいとなると、どこかでお金を払うことで楽をしたいという思いが出てきます。
明治維新になって鉄道が建設されていった時、それまで人の往来や物流を担っていた高瀬船の船頭たちは、鉄道の運賃は高いから、これまで通り高瀬船を利用してくれるだろうと思っていました。しかし、一度、速くて快適な鉄道に乗ると、切符代が高くても、人々は鉄道を利用するようになっていきました。
明治維新以来ずっと、便利を追求することで、お金への依存度を高めてきました。そのため、給料に依存する暮らしとなっていきました。
その結果、環境破壊と労働者の賃金奴隷化が進みました。
このような歴史を振り返るなら、今は、この流れを逆にする時だと思います。
逆にするということは、不便を楽しむ覚悟を持つということです。お金さえ払えばすぐに手に入るものに対して、わざわざ時間をかけることが楽しめるようになると、素敵ですね。
そうすることで、お金に頼る度合いが減っていけば、私たちはその分だけ自由になれます。
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