機械文明の正体

ガンジーは、今の社会の一番の問題は機械に頼りすぎていることだと主張しています。そして機械に頼るから人間はとても忙しいのだと言います。私たちの生活を振り返ってみてどうでしょうか、やはり忙しいですよね。忙しいから本当に考えないといけない大切なことを考えられなかったり、大切なことをやらないで流されてしまったり、そうやってなんとなく人生が過ぎていってしまいます。それで人生になんとなくむなしさを感じている人が多いのではないかと思います。そこでガンジーは言うんです。「機械に頼るから忙しいんだよ」と。しかしこれは理解するのが難しいかもしれません。たとえば農業ひとつとっても、機械ができたおかげで、田植えだって稲刈りだって楽になったとみんな思っています。でも、どうでしょうか。稲刈りのシーズンになるとコンバインで稲を刈っています。あっという間に一つの田んぼを刈り終えて次の田んぼへ、そしてまた次へというふうに、次々と刈っていきます。でもそこには人がいません。たったひとりの人間が一台のコンバインを運転して、あちこちの田んぼを刈っていきます。だから、1日中働いているのです。コンバインがあるおかげで収穫が早く終わるようになり、そうして生まれた時間で農家の人が幸せになっているかというとそうではありません。機械がなかった昔には、みんなで協力して稲刈りをし、終わったあとには収穫を喜びお祝いをするということもあったのでしょうが、そういう光景は今の農村にはありません。そして今ではひとりの人間がたくさんの面積を耕せるから大量のお米が収穫できます。そうして収穫したトラックいっぱいのお米を積んで農協に持っていくと、今度はすごく安く買いたたかれます。大量のお米を生産し売ったにも関わらず、それで得たお金で一年間生活するのに充分かというと、かなり厳しいです。ですから農家の人たちも農業以外の仕事に就いているし、若者たちは都会に出て働くわけです。このようにコンバインや田植機があっても、そこからゆとりは生まれていません。そして都会に出た若者たちはというと、やはり都会でゆとりある生活はしていません。こき使われて、働いても働いても楽にならないワーキングプアのような生活をしている人がたくさんいます。
 なぜ私たちは、機械を利用していてもゆとりがないのでしょうか。それは機械がどういうものかを考えるとわかります。たとえば、糸車のような簡単な道具なら、自分で作って誰でも所有し使うことができます。しかし今の近代機械文明で使われているような機械やそれを動かす工場となると、大金持ちの資本家しか所有することができません。そしてそういうものに頼った近代機械文明を続けていくとどういうことが起こるかというと、工場などを所有している一部の大金持ちの資本家と、その工場で雇われている大多数の労働者というふうに、人間が二つに分かれてしまいます。そして機械というのは毎年改良され進歩していきますから、機械を持っている資本家の立場がどんどん強くなっていきます。たとえばある年に、ある機械を使って、十人の人を雇い、一年間に百個の物を生産していたとします。ところが機械が進歩したので十人でなくても、八人でよくなりました。だからと言ってすぐに二人の人をクビにできるわけではありません。これまで通り十人を雇い続けないといけませんから、百個作る代わりに百二十個作ろうか、というふうに、作る量を増やすわけです。つまりこのシステムは、機械の進歩に合わせて、毎年生産量を増やして行くことができないと、人がクビにされていく、そういうシステムだったのです。そうやって日本は、戦後から今まで経済を拡大してきました。戦争直後は焼け野原でいろいろなものが不足していましたから毎年生産量が増えるのはよいことだったかもしれませんが、これだけモノが溢れた時代になるとこれ以上生産量を増やせなくなります。だから「仕方がないからクビにしよう」という方向へ圧力がかかるわけです。それで今リストラされる人が増えていますし、あるいは大学を卒業しても就職先がないという状況が起こっています。そういう状況になり失業している人が大勢いれば、今度は賃金が下がっていきます。たとえば今まで時給千円を支払っていた工場があったとして、八百円でもいいから雇って欲しいと言う失業者がいれば、じゃあ時給八百円で人を雇おうか、ということになります。つまり今のシステムというのは、資本家がどんどん得をするようにできているわけです。そして労働者のほうは、労働力を買いたたかれて、しかも機械が進歩すればするほどイスがどんどん減っていくイス取りゲームに参加させられているようなもので、悪い条件でも働いてしまいます。悪条件で朝から晩までこき使われて、奴隷のような状態に陥っているわけです。ガンジーは言います。「機械の持つ根本的な問題に気づいて目覚めなさい。そして機械に頼ることをやめさい。機械に頼ることをやめたほうがむしろ、私たちは本当にゆったりとした人間らしい生き方ができるのです」と。
 機械というのは他にも様々な問題を作り出しています。物が売れなければ失業者が出るわけですから、とにかく消費を煽り、まだ使えるものも捨てさせて、新しいものを買わせようとします。そのためにゴミは増える一方ですし、たくさんのものを作ろうとすればするほど資源も必要になるから資源も枯渇するし、公害などの環境問題も引き起こします。また資源の奪い合いは戦争にもつながります。作った商品を売りつける市場を確保するためには言うことを聞く植民地のような国も必要となってきます。このように戦争や環境破壊、貧富の格差など、この社会にある様々な問題が、実はこの機械というものに端を発しているんだとガンジーは言うわけです。
 しかもそういう社会の中で人々の仕事はどうなってしまったかというと、ものを作るという喜びに溢れた仕事がなくなり、販売や営業といった仕事が増えています。必要かどうかもわからないものをノルマを課せられてこれだけ売ってこいと言われ、ノルマが達成できなければあなたの替わりはいくらでもいるよと言われます。本当におもしろい仕事、自分がやっていて誇りを持てるような仕事というのがなくなってきています。その結果、心を病み、自殺する人も増えています。このように全ての問題が、近代機械文明を人々が良いことだと思って受け入れたことに端を発しています。だからガンジーはそういったことに目覚めなさいと主張し、イス取りゲームに参加していかに残っているイスにしがみつくかを考えるよりも、イスの数を増やし、手仕事や農業をしながら、みんなで協力しあって生きていく生き方をしていこうと訴えたのです。そして、その生き方は農村にありました。ガンジーは農村を中心とした社会で、大地の恵みを手作業でみんなで加工して、みんなが協力しあう、そういう生き方を目指したわけです。