本物がある豊かさ

そこでは、これまでのような商品を作って売るという生き方ではなく、必要なものを作り融通し合う、助け合う生き方ができます。そうなれば、物も本当に大切にされると思うし、必要な物が本当に必要としている人の所に渡るようになるのではないかと思います。アシュラムのような顔の見えるコミュニティの中で自給自足を目指して、自分ができる仕事をやり、必要なものを作って、コミュニティの中で分配していけたなら、ものに値段を付けるということがそもそもおかしなことなのかもしれないと気づくことができるのではないでしょうか。誰がどのように用いるかに関係なく高いお金を払ってくれる人のところに売るのではなくて、必要な物が必要な人のところに行くようになると思います。
 私も糸を紡いで機を織り、衣類を作っていますので、「もっとどんどん作って商売すればいいのに」と言われることがありますが、それはしたくないと思っています。手間暇がかかるからというのもありますが、売ってしまえばその人が次の瞬間、それをゴミ箱に捨てても文句は言えません。でも本当に大事にしてくれる人なら、ただで差し上げても構わないのです。それが本来のあり方だと思うのです。私たちは値段というものを超える生き方を目指す必要があるのではないかと思います。そしてそこに目覚めていくことができれば、たとえTPPが導入されたとしても、安いものに流されずに、この農家さんが私のために作ってくれたこのお米、この野菜だから、私はそれを食べたいと、そういうふうになっていけると思います。安い物に手を伸ばすその前に、物の価値をもう一度見直して、一つひとつの物には作った人の命が込められているのだということを思いだして、できるなら目に見える人が作ってくださったものをお互い使い合うことによってコミュニティを成り立たせていく、そういう社会を作ることで、安いけれど有害なもの、あるいは人を虐げて作ったものは買わないようにしていくことができれば、世の中が変わっていくのではないかと思っています。
 手仕事で作れば確かにたくさんの物は得られないかもしれませんが、本物が手に入ります。機械で衣類を作ると、いろいろなところに化学薬品が使われていますし、繊維を乱暴に扱いますから、出来上がった時点で、繊維はかなりくたびれています。だからちょっと着ただけでほころびたりしやすいのです。でも手仕事で大切に作ったものは長持ちします。だから親が着た物を娘が着るということもできたりします。やはり本物をもう一度見直す必要があるのではないかと思います。そして本当の生き方を見いだして生きる人が増えて行けば、やはり人は引きつけられていくと思うので、まずは始めて行くことではないかと思っています。そしてそこに真の豊かさがあるのではないかと思うわけです。