心の問題と価値観の転換

 環境問題は技術によって解決すればいいという議論があります。これだけ便利な世の中に浸っている今の人たちに便利さや快適さを手放せというのは無理だから、たとえば省エネ型の家電製品に買い換えればいいだろうという議論がありますが、それはうまくいきません。なぜかというと、私たちが「足るを知る」ということを知らず欲望を持ったままだと、たとえばエアコンの性能がよくなって電気代が半分ですむようになれば、「今まではリビングに一台あっただけだけれども、今度は子ども部屋にも付けてあげようか」というふうに台数が増えます。あるいは自動車の燃費がよくなれば、「じゃあちょっと遠くまでドライブに行ってみようか」ということになってしまいます。だから技術やしくみでは解決できません。やはり行き着くところは心の問題です。人間の心。大変ですが、これを変えていくしかないのです。
 原発事故があってから、原発ではない発電方法に切り替えるべきだということが言われています。でも、一つ忘れていることがあります。それは、この手を、この足を動かすということです。電気を使う代わりに、たとえば掃除機を使わないで箒とちりとりで掃除をしてみることもできます。この手と足こそが究極の自然エネルギーと言えるのかもしれません。風力や太陽光を論じる前に、私たちはもっともっと、手足を使うということを思い出してもいいと思います。しかし、なかなかそうならないのは、教育の問題も大きいと言えます。ガンジーは教育のこともいろいろ書いていますが、「肉体労働を蔑視するような教育が近代化以降ずっと行われていて、それは本当に間違ったことだ」と主張しています。だから肉体労働を尊び、本当の富とは金貨や銀貨ではなく、いろいろなものを作り出せるこの手と足であり、この手と足の技術を磨くことを教える教育が必要だとガンジーは語ります。
 そして本当の意味での平和で民主的な社会というのは、工業社会のような競争社会ではなく、農村中心の、手仕事を分担し協力し合う社会だから、子どもたちには手仕事ができる技術を身につけさせなければいけないし、哲学や宗教を通して人がどう生きるべきかということもきちんと伝えていかなければいけないと、ガンジーは主張します。子どもたちに農作業や糸紡ぎや機織りをやらせて、その中で必要な知識として算数や物理などを学ぶようにします。そうやって実生活と知識を緊密に結び合わせた時にはじめて、本当の学力が生まれるとガンジーは言っています。そういう農村社会を復活させることができれば、学校はもういらなくなって、寺子屋のようなところで読み書きを学び、あとはそれぞれの子どもたちが興味のある分野の仕事に従事して見習いをするなかで技術と知識を身につけ、村の中で将来自分のやりたい仕事に就いていけば、就職活動に悩むということもなくなるわけです。そして子どもだけではなく、既に大人になっている私たちも、もう一度肉体労働が人にとってどれほど大切なのかということに目覚め、実際に手足を動かし生活をすることから新しい未来を創っていく必要があるのではないかと思います。