塩の行進とカディー(手紡ぎ・手織り木綿)

 ガンジーの独立運動を一言で言うと、人々が、特に貧しい人々が、自らの誇り、人間としての尊厳を取り戻す運動でした。イギリス政府はその当時、塩に専売制を敷き、イギリスが作った塩しか売ってはだめだとしていました。そしてその塩に高い税金をかけて庶民を苦しめていました。でもガンジーは、たとえそれが不当な制度だったとしても、税金の不払い運動などはしませんでした。そうした運動は道徳的な退廃を招くと危惧したからです。そうではなくて、自分たちの足で海岸まで歩き、自分たちのこの手を使って海水を煮つめれば塩が手に入る、イギリスの塩を買わなくともこの手足を使って必要なものは手に入れられるいうことを示し、インドの人々に自信を取り戻してもらう道を選びました。
 ガンジーとその支持者たちは、塩を作るためにグジャラート州アフマダーバードから同州南部ダーンディー海岸までの約三八〇キロの道のりを行進します。これが「塩の行進」です。手足を使って塩を作ろうとする人たちに対して、イギリス政府は弾圧を加え、海岸に向かう無抵抗の人々を殴ります。その映像が世界中に流れ、世界の非難の声がイギリス政府に向けられます。そして最終的にイギリスは、インド人が塩を作ることを認めざるを得なくなるわけですが、このようにして、道徳的に優ることでガンジーはインドの人々の誇りを取り戻したのです。それがガンジーの独立運動であり、そういうやり方で、インドは独立を達成しました。
 塩の行進に参加した人たちはみな、カディーを身にまとっていました。カディーとは、インドの木綿を手で紡いで手で織った布のことを言います。つまり、自分で紡ぎ自分で織った服を着て彼らは行進しました。なぜならガンジーが、自分で紡ぎ自分で織ったカディーを身につけていることを行進参加の条件にしたからです。なぜそんな条件を設けたかといいますと、ガンジーはこの塩の行進で、どうしても非暴力を貫きたかったからです。それまでの独立運動では、弾圧に対して暴力で仕返しをしてしまい暴動になってしまうということがありました。その結果、運動を休止せざるを得なくなるということが何度もありました。ガンジーは塩の行進では同じ失敗をしたくなかったのです。それで殴られても殴り返さない人とだけ行進をしたかったわけです。
 紡いだり織ったりというのは、単純な仕事ですぐにマスターできますが、一着の衣類を作るだけの糸を紡ぎ布を織ろうとすると、同じ作業を延々と繰り返さないといけません。それにはやはり忍耐が必要です。そこでガンジーは一着の服を自分で紡いで自分で織れる人なら、殴られても殴り返さない忍耐力を身につけているだろうと考えたわけです。