この最後の者にも

ガンジーは、インドのエリートの家庭に生まれました。そしてイギリスの大学に留学をして弁護士の資格を取り、南アフリカで弁護士業を開業していました。そしてかなりの高収入を得て、豊かな暮らしをしていましたが、その彼があるとき出会った本がありました。南アフリカを電車で旅するときに、友人から貸してもらった本でした。それを読んでガンジーは衝撃を受け、生き方を大転換します。その本とはジョン・ラスキンという人が書いた『この最後の者にも』という本です。ジョン・ラスキンという人はイギリスの経済学者で、彼はこの本の中で、今の経済というのは聖書の教えに違反してまったく逆のことをしている。だからおかしいということを書いています。これは実は聖書に出てくるある物語が土台になって書かれています。それは収穫の時期を迎えたぶどう園の物語です。ぶどう園の主人は、収穫のために労働者を雇いますが、朝何人かの労働者を雇い、お昼頃また何人かの労働者を雇い、そして夕方にも人手が足りないということで、何人かを雇いました。そして一日の仕事が終わった時に、朝から働いた人たちと、午後から働いた人、それから最後の一時間だけ働いた人たちに、等しく一デナリオンずつの賃金を払いました。そうすると朝から働いていた人が「私は朝からずっと汗水流して働いたのに、たった一時間しか働かなかった人と同じ一デナリオンは不公平じゃないですか」と文句を言いましたが、このぶどう園の主人は、「私は今朝あなたと契約したとき、一デナリオンでいいですかと言ったら、あなたはいいと言ったではないですか、だから一デナリオンを受け取って帰りなさい。でも私はこの最後の者にも、あなたと同じように払ってやりたいのです」と言います。これを聞いてみなさんはどうお思いでしょうか。やはり不公平だと思うでしょうか。ジョン・ラスキンという人は、これが人間社会の本来のあり方だと言います。一デナリオンというのは当時の一日分の労賃としてごく普通の金額です。一日働いてそれだけもらえれば満足のいく金額だったので、決して労働力を買いたたいているわけではありません。
 そして社会にはいろいろな人がいます。健康に恵まれてバリバリ働ける人もいれば、病弱な人、体に障がいのある人もいますし、あるいは赤ちゃんの世話をしなければいけなかったり、介護しなければいけないお年寄りを抱えている人もいます。そうすると、みんながみんな一日バリバリ働けるわけではありません。しかし、ひとりが一日生きていくためには食べる物や着るものは同じだけ必要になります。であれば、どの人にも同じだけ分配すれば良いだろうというのがこの考え方です。今の社会では、たくさん働けばたくさんもらって当然という価値観が染みついているので不公平というふうに思ってしまうのかもしれませんが、もしこのような社会が実現できれば、私たちは今よりずっと自由に生きられるのではないかと思います。たとえば現代では「年をとって働けなくなったらどうしよう」とみんなが不安に思っていると思います。だから老後のために蓄えておかなければいけないと、ある程度余裕があっても、貧しい人や困っている人に「どうぞ」と差し出すことがなかなかできません。でももし、働く度合いが十でも五でも一でも、みんなに必要なものが平等に分け与えられることが当たり前の社会になれば、自分たちが年をとって働けなくなっても支えてもらえるんだという安心感があれば、今あるものをみんなで豊かに分け合うことができて、今よりも豊かな生き方ができるのではないでしょうか。
 このように人間が人間らしく生きられる社会であるためには、聖書が言うことをこの社会で本当に実現しなければいけないんだということをジョン・ラスキンはこの本に書いていて、ガンジーはそれを読んで深い感銘を受けたのです。自分はいままで弁護士として当たり前にたくさんのお金を稼いでいたけれども、そして自分の家では、たとえば便所掃除をしてくれる人に対しては安い賃金しか払っていなかったけれども、これはとんでもないことだったということに目覚めたのです。そしてどんな人も一日生きていくのに同じだけ必要なら、自分の弁護士としての賃金と、トイレを掃除する人の労賃が等しくなければいけない、それが当然なんだということに目覚めたのです。だからガンジーは、最低賃金だけではなく最高賃金も定めるべきだと言います。そして最低賃金と最高賃金はなるべく等しくしていかなければいけないと言いました。