財政赤字の処方箋。やっぱり糸紡ぎ!!

 

 

「自国通貨の借金なら返済に必要な紙幣を刷ればよい。・・・財政赤字は悪でも恐怖でもない」という楽観論に引き寄せられている。と2019.7.29.の山陽新聞のコラムにありました。
 この記事では、「過度なインフレには注意を払いながら・・・」とありますが、お金を印刷すれば、物価は上昇します。海外から安いものを調達したり、国内でも労働者の賃金を抑えて、さらには海外からの安い労働力に頼って、安い粗悪品を乱造して、物価は上昇していないということにするつもりなのかもしれません。これでは、労働者は幸せになれません。
 財政赤字があるから、年金の支給開始年齢が後退したりしているわけで、うまい話はないと思っていた方が賢明ではないでしょうか?もちろん、富裕層に応分の負担を求めることは、当然ですが…
私たちは、歴史に学ぶ必要があります。
 幕末は、幕府や大名の財政が破たんし、豪商からの借金を踏み倒しています。藩札が紙くずとなり、円が発行されました。先の大戦でも、戦争中の戦費の調達で財政が破たんし、お金が紙くずとなりました。その時に、庶民はどうやって生き延びたのでしょうか? 農業と物々交換でした。
 山陰地方で機織りをされている90代の方から次のような話を聞きました。戦争中は、貯蓄があっても、お金で物を買うことができなくなったそうです。それでも、機織りができたおかげで、布と米を交換してもらうことができたそうです。
 本当に必要な必需品をこの手で作ることができれば、怖いものはなさそうです。
暴力がもたらす悲惨
 これに対して、汗水流して必需品の生産に励むことよりも、悪い奴をやっつけようという方向に行ってしまうと、やはり悲惨な結果をもたらしてしまいます。
 226事件は、社会の矛盾、貧富の格差に怒りを抱いた若者たちが、政治を変えようとして起こした『昭和維新』というクーデターです。しかし、クーデターという暴力からは良いものは生まれませんでした。
 明治維新も、暴力的な倒幕でした。そして出来上がった明治政府は、戦争への道を突き進んでしまいました。
 暴力からは良いものは生まれないことを、私たちは肝に銘じておく必要があります。そして、ガンディーの非暴力の運動を今一度、見直してみたいものです。
非暴力の道=暮らしをこの手に
 ガンディーは糸紡ぎという手仕事を通して、暮らしをこの手に取り戻すことを一番大切にしていました。運動を推進するために財閥からの多額の寄付も得ていましたが、それでも、肉体労働をすべての人が、毎日数時間することが必要であると主張していましたし、率先してそれを実行していました。
 一人一人が、家庭菜園、料理、手仕事、掃除などをきちんとやるなら、多くの問題がひとりでに解決することをガンディーは知っていたからです。販売用ではなく、自らの必要を満たすための肉体労働であれば、これらをやった上で、知的活動をする時間を十分に持つことができます。ガンディー自身、毎日糸を紡ぎながらも、膨大な文章を残しています。
 そして、当時のインド人たちが、ガンディーに倣って、糸を紡ぎ、海岸で塩を作り・・生活をこの手に取り戻した時、大英帝国は、インドに輸出していた綿布、インドでの塩税など、インドから得ていた莫大な利益を失い、インドを支配下に置くことができなくなりました。
 インド人がイギリス製の綿布を購入したり、塩を購入して塩税を払うことで、大英帝国を支えていたのですが、そのように支えることを辞めたとき、大英帝国は、インドを支配することができなくなりました。支配する意味がなくなってしまったのです。
 同様に、私たちも、大企業に依存した暮らしから脱皮していく必要があります。大企業を支えることを辞めていくのです。必要でない物は買わない、必要なものはこの手で作る。これだけです。半農半Xから始めてみてはいかがでしょうか? ガンディーは議席を持ったことはありませんでした。それでも、インドは自由になれました。
 私たちも、暮らしを変えることで、この世界を変えていきたいものです。