ホイスコーレとグルントヴィ

ホイスコーレを提唱したデンマークのN.F.S.グルントヴィについて (2019.1.12.)
 
 子どもたちを自然の中で育てる「森のようちえん」という素敵な活動について興味を持ったことがきっかけで、デンマークの教育者グルントヴィを知りました。彼は牧師でもありました。
 彼について書かれた本『N.F.S.Grundtvic  An Introduction to his Life and Work』(A.M.Allchin著) が、また興味深かったです。
 以下はその抜粋です。

 1783年にグルントヴィは生まれました。その数年後の、1786年から88年にデンマークで土地改革が行われ、地主が小作人に土地を分け与え、多くの自作農が誕生しました。こうして、デンマークは貧富の格差が少ないという意味での豊かな国になりました。このような非暴力の革命が実現した背景には、富は重荷であり、極端な富の偏在は正義に反するという考えがありました。
 少年時代にデンマークの土地改革を目にしたグルントヴィは、民主主義がこれからも機能していくためには、適切な教育が必要だと考えるようになります。そして、心が置き去りにして、知識ばかりを詰め込んでいる教育を批判し、心と頭の両方を大切にする教育を推奨しました。
 
 知恵とはいかに生きるかを学ぶことです。そのためには自分自身を取り巻く世界についてと、自分自身の内面を知らなければなりません。そのような探索をしていく中で、自分自身を含めて、この世界のあらゆるものを創造された創造主に思いが至ります。そして、すべてをギフトとして与えたくださった創造主を知るときに、愛の感情が生じます。愛があるから、知りたいという思いが湧いてくるのです。
 その愛を土台にして、この世界と自分自身について学んでいくときに、人は統合された人間へと成長します。このように人を全体として育てていくのが教育であるべきだと、グルントヴィは考えます。

 人はサルではありません。神が命の息を吹き込まれて生きるものとなった存在です。そして、人類の歴史の背後に、神の働きがあります。

 人とは、互いに相互依存した存在です。孤立して存在できる人はいません。それゆえ、他者を犠牲にして自分だけの自由や富を享受していると、結局は自分の自由も失ってしまうことになります。ここから、北欧型の自由の概念が生まれてきました。。
 つまり、隣人にも自由が与えられるように、自らの自由に自発的に制限を設けるという考えです。そして、隣人に対する責任を自覚し、実行します。互恵的な自由の概念です。
 この北欧型の自由は、個人の権利を第一にして、規制なき競争を認める資本主義社会の考えとも、階級闘争を認める社会主義の考えとも異なっています。

 自由と責任を両立させるために、そして、両立させることのできる人間を育てていくために、グルントヴィは「心・口・手」の教育を説きました。
 心に浮かぶことを言葉にして口で表現することで、思いを明確化します。
 そして、手を使った仕事を通して、表現した言葉を実体のあるものへとしていきます。 教えるものと学ぶものが生活を共にし、祈りと労働の調和がある生活を送るのです。天を見上げながら、地上での生活に精を出すのです。このことを通じて、隣人との平和を築き、心の中に平安を得ていきます。
 そして、このような生活からもたらされる霊的な目覚めが生きる喜び、希望へとつながります。自分の命と、神様が創造されたすべてのものに感謝することから、一人一人が良い目的のために何かを捧げる人へと成長していきます。そして、人類に奉仕するために神様に用いていただく器となっていきます。そのような人々で構成される社会が、神が望まれる社会です。
 
 このような社会を理想として思い描きながら、グルントヴィはデンマークの教育を導いていきました。