ガンジーの糸車通信  
  
               by 片山佳代子(メール) 
   道具(紡ぎ、織る)の情報についてはここをクリックしてください。


No.43 2015年12月18日

広島に引っ越してきて初めての冬を迎えています。暖冬のせいもあってか、雪も降らないし、暖かいので、冬という感じがしません。天気の良い日も多いし、実家が近くなって、栗のイガなど自然の素材も手に入る(もちろん、野菜などもたっぷりいただいています・・・)ので、染色を楽しんでいます。いろんな色の糸がたまってきています。これでどんな布が織りあがるか、楽しみです。

人としての尊厳を取り戻すために

 

ベーシックインカムは可能か

フィンランドがすべての国民に毎月約10万円を支給するベーシックインカムを導入する予定であることが、話題になっていました。

 しかし、社会保障を廃止して、その財源に充てるそうです。そうなれば、医療費も無料ではなくなるでしょう。病気や傷害のある人は、働いて収入を得ることも難しいでしょうから、月10万円のベーシックインカムだけでは医療も満足に受けられなくなるのではないかと、心配です。社会保障は、弱者に手厚い保護を与えるためのものです。それを廃止して、十分な資産や収入がある人にも月10万円を支給することになれば、不平等が拡大しないかと心配です。余裕がある人の10万円を病気や傷害その他の事情を抱えた弱者に回すことが必要で、そのためには、ベーシックインカムを導入するよりも、社会保障を維持した方が良いように思われます。

 社会保障を維持したまま、ベーシックインカムを導入できれば言うことありませんが、それは現実的ではないです。日本で仮に月10万円を日本国民約1億人に支給するとすれば、10兆円が必要だからです。だから、日本の場合も、ベーシックインカムよりも、社会保障の充実を求めるべきではないでしょうか?

 ベーシックインカムが議論されるようになった背景には、機械化、IT革命によって、仕事が急速に消滅しているということがあります。その結果、失業者があふれているのだから、失業者に生きる権利を与えようという主張から始まっているようです。

しかし、生きる権利とは、お金を支給されることではなく、働く権利であると私は思います。人としての尊厳を取り戻すためにも、与えねばならないのは、お金ではなく、仕事です。もちろん、傷害などのために働けない人を支える必要があるのは言うまでもありませんが、仕事を通して、人は、社会とのつながりを実感でき、お役に立っているという貢献感を味わうことができます。そして、仕事を通して、人は成長できます。だから、傷害があってもできる仕事を工夫することも必要になってきます。バリアフリーということが言われるのも、そのためではないでしょうか?

 

いのちを育む仕事

 ただし、過労死するほど働かせられたり、歯車のような仕事であったり、軍需産業のような地球や社会のためにならない仕事であれば、仕事を通して貢献感を味わったり、幸せを感じたりはできませんから、仕事の質も問われます。

 ジョン・ラスキンはその著書『この最後の者にも』の中で、世の中にはいのちを育むプラスの仕事と、いのちを損なうマイナスの仕事がある。マイナスの仕事を減らして、プラスの仕事を増やさねばならないと書いています。プラスになる仕事を、みんなで分担することができれば、素敵です。障害者にも老人にも子供たちにも、それぞれの事情に応じて無理のない範囲で役割が与えられることが、一人一人の幸せにつながって行くような気がします。

 命を生み、育てること、そして、そのために必要な食料や衣類などの必需品を生産することがプラスの労働です。それであっても、自然を破壊するような生産の仕方であれば、命の基盤が損なわれますから、自然に寄り添った生産労働こそ、プラスの仕事となります。機械を使うと、素早く大量に生産できて、すばらしいことのように思えますが、衣類の生産の場合でも、染色を始めいろいろな工程で化学薬品が大量に使われています。結果的に命が損なわれることになりかねません。

 だからこそガンジーは、環境を破壊し、人々から仕事の機会を奪う機械化に反対して、手仕事を復活させようとしたのです。手仕事に代表される自然に寄り添った生産労働の中に、真の豊かさがあります。一粒の種が数百倍の実りをもたらしてくれるからです。機械は、大量に生産できるかもしれませんが、それは大量の原料とエネルギーを投入するからです。資源を製品に変え、やがて廃棄物にしているだけです。実質的には何も生んでいません。他方、種を蒔くところから始まる農業・手仕事は、自然の恵みをいただいています。無から有を生み出しているのです。自然を守り、自然の恵みを維持することが、本当の豊かさにつながります。

 

使うために作る

 機械に負けて、手仕事が廃れたのだから、この時代に手仕事を復活させることは夢物語だと考える人が大勢います。そして、そう考える人が、ベーシックインカム導入を主張しています。

 しかし、手仕事の復活と、ベーシックインカムの導入、どちらが夢物語でしょうか??

ベーシックインカムの財源を確保するのは、容易ではありません。他方、今日、私が糸を紡ぐことを妨げるものは何もありません。そして、続けていくなら、必ず服を手に入れることができます。手仕事の復活に懐疑的な人は、お金にならないと言います。それはその通りです。しかし、ガンジーの思い描いた手仕事が復活した社会というのは、商品を生産する社会ではありません。売るためにではなく、使うために作る労働を広めようとしたのです。

 ガンジーは、それを探求して、スワデシに行き着きました。スワデシは、国産品愛用と訳されることが多いですが、ガンジーに言わせると、それは村単位の自給自足です。目に見える関係の中で、お金を媒介とせずに、与え合う関係を築くのです。与え合うと言うよりも、ひたすら与える関係と考えた方が良いでしょう。困っている人は、必要なものをただで与えてもらえる共同体を作っていくのです。そんなことをすれば誰も働かなくなるでしょうか? 心配には及びません。人は、役割が与えられていることが、喜びであり、幸福なのですから。

 今、失業している人たちが、一番困っていることは、お金がないことよりも、社会から必要とされていない、いらない存在ではないかという孤独、孤立感です。それが、自殺の引き金にもなります。魂が喜びで満たされるような仕事が存在すれば、そして、その仕事を通して、お金を媒介としなくても、生活が保障されるなら、人は熱心に働くことでしょう。そして、与えることができる喜びを体験したなら、ますます作ることが楽しくなってくるはずです。

 だから、私は今日も糸を紡ぎます。自分の服だけでなく、家族の服も作りたいです。やがては友人にもプレゼントできるようになれたらと思うのです。家族には田圃や畑を耕してもらって、可能な限り自給ができたらなあと思うのです。そして、自給できないものは、紡いだ糸と交換で手に入れられるようになったら、怖いものはないと思うのです。

 

 どこまで行けるかわかりませんが、一歩ずつ、その方向に向かって歩んでいきたいと思っています。

 

No.42
前回の通信から、1年ぶりの更新となってしまいました。そして、今回で通信の発行は終了させていただきたいと思っています。今回で42号です。通信以外にも、ホームページ、ブログ、そのほか頼まれて書いた文章はたくさんあります。しかし、ただ、書いていけば良いというものではないことに、最近気づかされました。むしろ、今まで書いてきたことの中から、本当に大切なことを、項目ごとに整理することが必要ではないかと、思い至ったのです。これからは整理して、まとめることに時間を使いたいと思っています。

ガンジーの全集は、98巻(各500ページ)に及びます。次のサイトから無料でダウンロードできます。http://www.gandhiashramsevagram.org/mkgandhi/cwmg/cwmg.html
また、ガンジーが書き残したものをテーマごとに編集した本も数多く出版されています。http://www.gandhiashramsevagram.org/mkgandhi/ebks/gandhiebooks.htm
すべて英文ですが… これを日本語に訳していけば・・・と思ったこともあります。しかし、英文でこれだけ充実した資料がありながら、英語圏でガンジーが大きな影響を与えているかといえば、それほどではないような気がします。むしろ、あまりにも多すぎるがために、大切なことが、うずもれてしまっている・・・そんな印象を受けます。

せっかくの文章も読まれなければ意味がありません。インターネット、ソーシャルメディアの発達によって、広く伝えるための手段を私たちは持つことができました。しかし、深くじっくりと味わうのではなく、ただ、読み飛ばしていく…、長々と書かれていると、途中で読むのをやめてしまうということが、多いのではないでしょうか? そのため、かえって、大切なことを伝えるのが難しくなったような気がしています。

講演させていただく内容を文章にして本にしようかと考えたこともありました。
一部は、サイトにもアップしています。
http://homepage1.nifty.com/kayoko/KOUEN.html
草稿を読み直してみて、これでは伝わらないなと感じました。だらだらと長く書くよりも、要点を絞って、視覚的に内容が伝わるような工夫が必要ではないかと、感じたのです。そういう入口をまず設けて、そこから本という媒体に誘導していくことにしようと思いました。
そのために、最近つくったサイトがこちらです。
http://gandhi-spinning.jimdo.com/

本すらあまり読まれなくなった時代に、読書よりももっと根気がいる糸紡ぎ、機織り、衣類の自給・・・を目指しているのですから、無謀なことと言えるのかもしれません。しかし、だからこそ、やりがいがあるとも言えます。

目標を高く掲げ、そこに向かって、一歩ずつ歩んでいくなら、やがては目的地に到達していることでしょう。
大切なことは歩みを止めないということと、方向を間違わないということです。

自給自足が大切だとガンジーは説きました。そして、本当にその通りです。
自給自足できれば、おカネのための賃労働に従事しなくてよくなります。破壊的な仕事に、おカネの為だと、いやいや従事する必要がなくなるのです。
しかし、これだけお金に依存している消費社会から、自給自足社会へとすぐに移行できるわけではありません。だから「やっぱり無理だよ」とあきらめたり・・糸紡ぎでどうやってお金を稼ぐかと考えたりしがちです。おカネから自由になるために始めたはずなのに、いつの間にかお金を稼ぐ手段にしようと考えるとすれば、これはもう、方向がずれてしまっていると言うしかありません。

鳥のように生きる
自然界の生き物は、給料をもらわなくても生活しています。鳥はちゃんと巣をつくって、雛を育てています。巣を買うお金がないから、雛を育てられないと嘆いている鳥もいなければ、巣を買うお金を稼ぐために雇ってくれるところはないかなと就職活動に励む鳥もいません。
しかし、もし仮に、鳥が巣をつくるために小枝を拾おうとしたら、「小枝1本100円払わないとダメだよ」と言われたらどうでしょうか? 巣の材料を買うためのお金を稼がないといけなくなります。就職活動をしなければとなるのです。
あるいは、「枝を拾ってきて、わざわざ巣をつくるのは面倒くさい。買ってきた方が楽だよ」と、考えるようになれば、巣を買うためのお金が必要になってきます。あらゆるものが商品となり、作ることをやめて、買う生活になったから、お金が必要になったのです。モノを商品にしないで、買うことをやめて、もう一度作る生活に戻れば、お金がなくても生きていけます。
食べ物以上に私たちが生きるために必要なのが、空気ですが、空気が買えなくて窒息している人はいません。空気を買うお金を儲けるために、どこかに雇ってもらわなければと、考えている人もいません。空気は商品になっていないので、誰でも、自由にそこにある空気を吸うことができます。そして、私が胸いっぱい空気を吸い込んでも、隣の人が吸う空気がなくなることもありません。
実は、食べ物だって、空気と同じように十分な量が存在するのです。太陽の光が地上に降り注いで植物は光合成をします。ですから、種を蒔けば、実りの秋を迎えることができます。誰もが自由に種を蒔いて、収穫した米や野菜を調理して食べることができるなら… いかがでしょうか?
そして衣類も、自然の恵みである綿花を収穫して、紡ぎ、織るなら…労働することを厭いさえしなければ、手に入れることができます。私たちは、おカネがなくても、必要な物を手に入れて、鳥のように自由に生きられるのではないでしょうか?可能だと、信じることができるなら、その方向への歩みを止めることもなくなるはずです。

穴を小さくすること
自給自足への道を妨げているのが、消費者というマインドセットかもしれません。農的な暮らしを始めて、持続している人と、挫折した人の違いは何かというと、消費を減らすことに成功したかどうかがその分かれ道のような、そんな印象を受けます。消費の在り方はそのままで、農業で得る収入で消費支出を賄おうとすると、農産物でたくさんのお金を稼ぐ必要が生じ、農産物の値段が安いので、うまくいきません。まずは、消費支出という穴を小さくすることです。外食をやめて、自分で作った米や野菜を、自分で料理して食べる…いろいろ工夫できることはありそうです。
「少ない金で、豊かに生きる人々」
http://blog.livedoor.jp/tsokta/archives/51503543.html
も参考になるかもしれません。

ガンジーが言うBe the Change! 「世界に変化を望むなら、自らがその変化になりなさい」も、こういうことなのかもしれません。


No.41  2013年12月28日発行

久しぶりの通信の更新となりました。糸紡ぎや作品づくりに力を入れるようになると、文章を書くことがお留守になってしまいます。このあたりが私の限界かもしれません。

体験を通して
 3.11から3年近い時が流れ、クリスマスのイルミネーションが年々派手になっています。確かにイルミネーションはきれいですが、電気を大切にしようという思いが忘れられているようで、これで良いのだろうかと・・・ふと疑問が頭をよぎります。
電気だけでなく、衣類でも、何でも、そして私たち一人一人の存在が、もっと大切にされる、そんな世の中を私は作っていきたいと思っています。
 しかし、「もっと物を大切に!!」と呼びかけても、うるさがられるだけです。今年度私は、秋田市内の畑を借りて、みんなで綿を育てながら、糸紡ぎをする年6回のワークショップをさせていただきました。参加してくださった方から、布の大切さがわかったとか、物を大切にしたいと思うようになったという感想が多くありました。
 これなのです。手仕事を通して愛着を取り戻すことができます。物に対する愛情が生まれれば、自ずと大切にするようになります。そして、手仕事に携わる時間が、私たちを成長させてくれます。
 体験するしかないのです。だから、私はこれからもワークショップに力を入れていきたいと思っていますし、自分自身も糸紡ぎに精を出したいと思っています。
 そして、最初は楽しいというところから、入ればよいのですが、できれば、さらに踏み込んで、どんどん糸を紡いで、いわゆるカディー(手紡ぎ・手織りの衣類)を身につける人が増えていくことを期待しています。
衣類の自給を目指しているという話をしますと、夢物語だと一笑に付されることが多いです。しかし、そこまで目指さないと、やはり、原発事故の時のような、間に合わなかったという後悔をこれからも味わい続けることになるのではないかと、私は心配なのです。だから、とことんやってみたいのです。
毎日が時間との闘いです。それでも思ったようにどんどん作品ができるというわけではなく、時間がかかります。時にはストレスを感じてしまうこともあります。楽しいだけというわけにはいきません。しかし、それは決してただの苦行ではありません。苦しさを乗り越える歓びがあります。その高嶺を私は目指そうと思っています。

ビジネスから暮らしへ 
 「ビジネスとして成り立たない」というのがよくある反論です。衣類が安く手に入る時代です。損か得か、儲かるか儲からないかという考えから入れば、やる人はいないでしょう。でも、私はビジネスとして、糸を紡いだり、機織りをしたりするつもりはありません。
 一家の主婦がビジネスとして子どもを育てたり、料理をしたり、掃除をしたりしないのと同じことです。暮らしであって、ビジネスではないのです。
ビジネスが拡大して、暮らしがなくなってきていることに、私たちの忙しさ、ゆとりのなさ、不幸の原因があると私は思います。ビジネスとはbusy(忙しい)の名詞形だからです。
 だから、私はビジネスを縮小して、暮らしを取り戻したいのです。
 カディーを一着作るのに、途方もない時間がかかります。だから、有機農産物を作って販売する人はいても、カディーを販売する人は、少なくとも私が知っている限りではいません。労力に見合う値段を付ければ高くなりすぎて、買ってくれる人はいません。他方、買ってもらえる値段にすると、労力に見合いません。ですから、衣類ではなく、マフラーなどの小物を作って販売するか、むしろ、ワークショップで糸紡ぎを教えて、そこで収入を得ていこうと考えがちです。あるいは、人件費の安い国で作ったカディーを販売したり・・・こういう現状があるなかで私はあえて、自分でカディーを作ることにこだわってきました。ビジネスではなく、衣類を手作りする暮らしを取り戻したかったからです。
 物の値段が不当に安くなりすぎていて、安く作ることが求められて、自然や人を犠牲にした安い物があふれています。この現状に対して私は、物が正当に評価されることを求めたいのです。心を込めて作られた一つ一つのものにpriceless(値段がつけられないほど貴重)な価値があります。私たち一人一人にpricelessな価値があるようにです。だから、値段をつけるということを手放してしまおうと、私は思いました。私がたくさん作って販売するのではなく、みんなで作るのです。ワークショップでも私が教える人でまわりは生徒さんという関係よりも、私も含めてみんなでわいわい糸を紡ぐ、そういう場所にしていきたいと思っています。
 『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK広島取材班・角川書店)という本がありますが、そこでは、老夫婦2人だけでは食べきれず畑の片隅で捨てられていた野菜を給食の食材として活用する話が出てきます。市場で売れないものでも使ってもらえることで、老夫婦に生きがいが生まれています。ここに大きなヒントがあるような気がしています。仕事の目的がただ単にお金を稼いだり、もうけることだけであるのは、つまらないことです。もちろん、生活できないと困るのですが、生活するのに必要なのは、食料や衣類などの必需品です。1万円札を食べることもできませんし、それを燃やして暖房にすることもできないでしょう。本当に生きていくのに必要な物は何かに、そろそろ気づく必要があります。
 「『里山資本主義』とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。」とあります。私なりの一歩が綿を育て、糸を紡ぐことです。

慎ましい暮らし
 江戸時代の歴史を調べていくと、綿の栽培が盛んになって、綿業が一大産業となり、商業も盛んになって、一攫千金を求める競争が起こります。そういう中で繁栄していく人もいれば、没落していく人も出て、貧富の格差が拡大していった歴史でもありました。だから、江戸時代の綿業を手放しに礼賛することはできないのです。慎ましく暮らすことの価値を取り戻したいと私は思うのです。
 大儲けをねらうのではなく、貧しい人がいない社会を目指したいのです。そのために、労働することの価値に目覚め、働くことが喜びとなっていくような生き方を取り戻したいと思っています。働くというのは、そもそも傍を楽にすることだったそうです。
 みんなが幸せになるためには、みんなで苦労を分かちあうことです。分かちあうことができれば、それはもはや苦労ではありません。

 糸紡ぎの輪を広げて、各地におしゃべりを楽しみながら、糸を紡ぐそういう場ができたら良いなと思っています。
あと4年と少しで夫は定年を迎えます。夫の定年後はふるさとの岡山県に戻る予定でいます。東北にいられるのも長くてあと4年ほどです。その間に、できるだけ、東北や東日本で糸紡ぎの輪を広げていきたいと私は思っています。

右は最近の作品です。手紡ぎ手織りなので綿とは思えないほど、とても暖かいです。

ホームページ上に講演記録のページを作りました。
http://homepage1.nifty.com/kayoko/KOUEN.html


No.40  2013年4月22日発行

ちいさな
学校

 ガンジーは、頭脳・手足の技能・心をバランスよく成長させる全人的教育を提唱しました。人間は、頭だけの存在ではなく、手足・心を兼ね備えた存在だからです。

 ガンジー思想の流れをくむサティシュ・クマールさんという人が最近来日されました。その講演がネット上にもあります。http://www.ustream.tv/recorded/30948555

 その中でサティシュさんは、「愛すること、思いやることを子どもたちに教えるちいさな学校を日本にも作っていきましょう」と語られています。

 今の教育は手足を使うことが軽視されているだけでなく、思いやる心を育てることも全くできていないような気がします。『スクール・カースト』(鈴木翔著・光文社新書)という本を最近読みました。同年齢の子どもたちばかりが集まったクラスの中に、カースト制ともいえるような権力の差があると指摘している本です。教師はこのような序列構造に気づいていながら、それは生徒の能力によると見なしています。下位に位置する生徒は、コミュニケーション能力が低いから、下位におかれているのだと、教師は考えているのです。もっと積極的になって、コミュニケーション能力を高めれば解決することだと、どこか突き放したような姿勢が、教師にはあるような感じがしました。生徒の間に差別的な待遇があることを、問題だと思っていないどころか、学級経営にそれを利用しているようで、驚かされました。

 相手の立場になって考えること、自分がされたらいやなことを人に要求してはいけないという、人間としての基本を教えようという意識がまるでないのです。

 やはり、サティシュさんが言われるように、私たちがちいさな学校を作っていくしかない、そういうところまで来ているのかもしれません。

本物のコミュニケーション

 ところで、サティシュさんはコミュニケーション・スキルを身につけなさいと言われていましたが、昨今もてはやされているコミュニケーション能力とは、異なっているようです。日本では、コミュニケーション能力が、ただ自己主張ができる能力だと、誤解されているような気がしてなりません。

 雄弁な人がもてはやされる傾向がありますが、一人一人の小さな声に耳を傾けることなく、声の大きな人、口が立つ人の言いなりに皆がなっていくとすれば、それは民主的ではありません。

 サティシュさんは、話す以上に、耳を傾けなさいと言われていました。なぜなら、耳は二つあるのに、口は一つしかないからです。

 コミュニケーションのコムとは、「共通・共有の」という意味のcommonからきています。一方的にしゃべりまくることが、コミュニケーションではありません。言葉のキャッチボールを心がける必要があります。

 会話に入っていない人がいたら、その人が興味を持っていそうな話題について、その人に質問したり・・・ちょっとした配慮ができるとすてきですよね。

小さな職場

 そういう配慮が大切だと教えることなく、心を軽視した結果が、今のような病んだ社会をもたらしたのかもしれません。学校だけでなく、会社においても序列化・差別は平然と行われているようです。「ブラック企業」(今野晴貴著・文藝春秋)という本によれば、労働者を使い捨てにし、退職に追い込むために、過酷なノルマを課したりして、わざと鬱病になるように仕向けている実体があるそうです。

こうなると、「ちいさな学校」だけでなく、社員が互いを助け合い、支え合うことのできる「ちいさな職場」も、私たちは作る必要がありそうです。

 サティシュさんも講演の中で、「就職しない生き方」を目指しなさいと言われていました。そして、企業に頼らない仕事を創っていったらいいのだと、彼は言うのです。

 一人一人には、それぞれ素晴らしい可能性が宿っています。その可能性を見つけだし、育み、花を咲かせ、実らせていく、これがこの世に生を与えられた目的でしょう。

 花はミツバチに蜜を、果樹は鳥たちに果実を与えています。お金を払わないなら、やらないなどとケチなことを言いません。これが自然界です。

 人間だって、大地に種をまけば、母なる大地は実りを与えてくれます。就職できなければ、生きていけないという呪縛から、そろそろ解放されてもよいのではないでしょうか?

支え合う素晴らしさ

 サティシュさんは、キューバ危機の時に、核兵器廃絶を訴えて地球を歩いた方です。インドのガンジーさんのお墓から出発して、モスクワ・パリ・ロンドンを経由して、大西洋は船で渡り、アメリカのケネディ大統領のお墓までの道のりを2年半かけて歩きました。お金を持たない旅でした。道で出会う人に、食べ物と宿を提供していただきながらの旅でした。時にはお腹を空かせたまま野宿されたこともあったそうですが、それでも、2年半もの間、働くことをしなくても、お金がなくても、サティシュさんは生きてきたのです ミツバチがいろいろな花から少しずつ蜜を集めるように、少しのものを与えてくださいとお願いすることは、決して悪いことではないと、サティシュさんは言われます。

 最近は生活保護受給者に対する風当たりが厳しくなりました。ゆとりと愛を失いつつある私たちではないでしょうか? 個人で、あるいは家族で支えきれないところは、みんなで支え合うのは良いことのはずです。ミツバチが一つの花だけから、蜜をとってしまえば、花は枯れます。それと同じように家族がすべてを背負うと、破綻するでしょう。

みんなでする自給的暮らし

  ただし、ガンジーは、お金を与えることが解決法ではないとも主張しています。真の解決は、仕事を与えることです。仕事を取り上げられること以上の不幸はないからです。

 といいましても、仕事の内容はよくよく吟味しなければならないでしょう。間違ってもブラック企業のために心身を病むほど働いて燃え尽きるようなことがあってはなりません。

 であれば、サティシュさんも言われるように農業と手仕事を中心にみんなで分担できる仕事をどんどん創って行ったらよいのではないでしょうか。手作業だから、みんなで分担でき、一人一人がかけがえのない存在だと分かるようになります。そうやって、思いやりに満ちた社会を作り出すことができれば、人はお金がなくても、札束にひれ伏さなくても、生き延びることができるはずです。

 苦労を知らない人間の戯言だと反論されそうですが、みんなでやるということがポイントです。田に力と書いて男という字ができています。田で働くべき男性が会社勤めをするようになって、おかしくなったのです。会社勤務の人たちの食料まで任されるから、農民に加重の労働を押しつけられてきたのです。

 自給的農業、自給的手仕事でよければ、それほど重い負担にはならないのではないでしょうか? ただし、一人で全部やろうとするとつぶれるでしょう。私たちは一滴の水のようなはかない存在です。バラバラに存在していれば、あっという間に蒸発してしまいます。でも、水滴が集まり、川ができ、やがて大きな海となります。私たちが仲間として海のような存在になれば、大きな船を運ぶような大事業も不可能ではありません。

 サティシュさんの徒歩で地球を歩いた話を聞いて、人間の足でこんな偉業ができるのだと、驚かされました。私たちのこの手と足にたくさんの可能性が秘められているのでしょう。可能性のままにしておくのは、もったいないです。

Think of the power, that’s in the universe! Moving the earth, growing the trees! And thats the same power within you! If youd only have courage and the will to use it! 

「宇宙にある力が、地球を動かし、木を育てる。君の中にある力と同じだ。その力を使う勇気と意志を持つんだ!」チャップリンの映画『ライムライト』より


No. 39  2013年1月13日発行

 秋田に引っ越してきて2度目の新年を迎えました。こちらでの生活も2年になろうとしています。試行錯誤の時期が終わり、新しく与えられた出会いの中で、紡ぐ取り組みも定着してきています。どこに越してきても、いつも温かく迎えてくださる方がいて、本当にありがたいなあと思います。だからこそ、互いを温かくもてなし合う、そういう社会を作っていくことを今年の目標にしていきたいと考えています。

開かれた場づくりを目指して

 学生時代に通っていた教会の牧師先生がよく言われていたことを、最近思い出します。「仲良しグループを作ってはいけない」ということです。教会通しの交流会があるときには、「自分の教会のメンバーだけで固まるのではなく、それぞれのテーブルに分かれて座り、初めて会う人と友達になりなさい」と言われていました。そして、初めての人が来られたら、必ずみんなが話しかける・・そういう温かさがありました。

 このような開かれた雰囲気の中で、私は安心して憩うことができていました。

 居場所づくりということが最近話題になりますが、場があれば何でも良いというものでもないと思います。不登校になる子どもたちが大勢います。なぜ彼らは、せっかく与えられている学校という場に背を向けるのでしょうか? そこが、開かれた場になっていないためでないかと、私は感じます。KYという言葉が流行った時期もありました。空気が読めないといっては人を排除したり・・・「あいつはきもい奴だ」とか、いろいろな難癖を付けて人を排除することが当たり前になってくると、仲間から外されないでいることに神経をすり減らすことになります。仲間外れにされれば、集団の中にいるからこそ深い孤独を感じることになってしまいますし、たとえ、仲間の中にとどまることができたとしても、外されないためには、自分を殺すしかなくなり、本音のつきあいはもはやできなくなります。表面的な空疎なつきあいの中では、ストレスがたまるだけかもしれません。

 自称仲良しだけで固まる閉ざされた空間が蔓延している時代かもしれません。ライバルを蹴落とさないと生き残れない時代の中で、すべての人を受け入れて、仲間としてともに生きるゆとりを失っているのかもしれません。

『最大多数』よりも『最後の者』を大切に

 エリートがしっかり働いて、社会に繁栄をもたらせば、そのおこぼれが、下の人たちにも行くはずだから、繁栄のためには、つまり、『最大多数の最大幸福』のためには、少数の犠牲には目をつぶってもかまわないと考えがちです。そして、この考えのもとで、弱者が切り捨てられることが、正当化されてきました。自己責任という言葉もあるくらいです。

 就活などの場面で、コミュニケーション力ということがやたらと強調されるようになっているのも、おとなしい子を排除するための詭弁なのかもしれません。機械の進歩に比例して人手が排除されていく社会にあっては、生き残るための競争が熾烈になります。競争社会という『いす取りゲーム』の中で、残された椅子の数は本当に少なくなってきています。ですから、十分仕事ができる能力があっても、誰かを排除せざるを得ないのが、今の時代です。

 こういう中で、少数の犠牲を容認し続けると、どうなるでしょうか? 次第に犠牲者が増えて、最大幸福どころか、幸福になれるのはむしろ少数派になってきているのかもしれません。少数の犠牲を正当化してきた過ちに、私たちは気づかないといけないのです。

 ガンジーは、どんなことがあっても弱者を犠牲にしてはいけない、最も弱い立場の人を『最後の者』を大切にしてこそ、すべての人が幸せになれると、主張しました。どんな理由があっても、人を仲間外れにしてはいけない、これが常識になれば、自殺も、うつ病も、ひきこもりも激減するような気がします。

弱者とともに紡ぐ暮らしを

 昨年、『ひきこもり町おこしに発つ』という本を読みました。白神山地の麓、青森県との県境に近い秋田県藤里町で、調査してみると18歳から55歳までの町民1293人の8.74%にあたる113人が、長年、仕事に就けない状態で引きこもっていると判明し、彼らの力で町おこしに挑戦している、とてもユニークな実践が報告されています。

 様々な理由で排除され、引きこもり状態におかれている人は大勢います。『いす取りゲーム』の社会では、このような不幸な人はますます増えていくでしょう。しかし、今、人手は本当に余っているのでしょうか?

 人の代わりに機械が何でもやるようになりましたが、機械製造には大量のエネルギーが必要です。さらに、たとえば、衣類の製造では、化学薬品による漂白、化学染料による染色が行われていますが、このような薬品処理では、健康に有害な物が使われます。

 確かに、このような技術によって、手間をかけずに大量生産が可能になりましたが、環境・エネルギー・資源などの問題から、行き詰っているのが現状ではないでしょうか? そして、コストを削減したあげくに、そのような安い製品も購入できない貧困者を大量に生み出しています。

 環境・いのち・健康を守り、すべての人が幸せになれる社会を築くために、手間をかけることを見直したいと思うのです。そのために必要なのは、人手です。

 藤里町のように、発想を転換して、逆転の発想で、今まで排除されてきた人たちを仲間として迎え入れ、手を携えて、手間をかける物作りに励んでみたらよいのではないかと私は思っています。そこにこそ、希望があると、私は確信しますし、今年もっともやりたいことがこれです。

 藤里町には、羊の牧場があります。昨年私は、その牧場の羊の毛をたくさん頂きました。寒い秋田では、ウールもありがたいです。肉用として羊を飼育しているので、羊毛の処分に困っているそうです。ここに眠っている宝があります。この宝を利用して、みんなでお喋りをしながら手仕事に励むことができれば、お年寄り、子どもたち、体の不自由な方々まで巻き込んで、誰をも排除しない暮らしにつながるのではないかと、夢を描いています。

お金は後からついてくる

 手間をかけて、お金にもならないことをやっても意味がないのでは?と、反論されそうですが、私たちに必要なのはお金なのでしょうか? 

 どんな田舎でも買う生活が当たり前となっているので、食べ物も衣類もお店で買わないと手に入らないと、思ってしまいがちです。だから「何はともあれ、お金を稼がないと生きていけないでしょ。糸紡ぎは道楽だよ」と反論されることも多いのです。

 そして、ともすれば糸紡ぎの成果もお金に換算して考えがちです。でも私たちにとっての必需品は、食物であり、衣類です。もちろん住まいと、エネルギーも必要ですが… 環境に負荷をかけない持続可能な方法で、これら必需品を手に入れていく方法を、今、考える必要があります。どうやってお金を稼ぐかではないのです。お金で必需品を買おうとすると、結局、工業製品に頼る結果となり、環境破壊も人を排除することも止められなくなります。

 工業製品と同じ土俵に乗らないことが大切です。手作り仲間でネットワークを作って、手作りを交換し合うことです。手紡ぎ・手織りの衣類と、自然農の農産物、裏山の木で作る薪や炭など…これらを互いに融通し合えるネットワークを作ることができれば、お金に頼る度合いも少なくなるはずです。すぐに理想が実現できなくても、その理想を思い描いて、そちらの方向に足を踏み出す年となりますように・・・。

最後にガンジーの言葉を紹介します。

「誠実な働き人にとって、資金の不足が本当に困った問題となることはありません。

資金は与えられます。目指すところが本物であるなら、資金はあなたの歩む道についてきます。」(M.K.ガンジー)





No.38 2012年10月22日発行

富とは何か?

金貨や銀貨が財産なのではありません。・・通貨となるのは労働です。金貨ではありません。働ける人は誰でもこの通貨を持っているのです。つまり富を所有しているのです。(ガンジー)

 このことを見失ったために、私たちはお金にひれ伏すようになり、道を誤ってしまったのではないでしょうか?

河北新報で神話の果てに-東北から問う原子力という連載が行われています。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/

 漁業権消失に対する補償金についてのやり取りでは、安全よりもいくらもらえるかに焦点が移っていったことなどが記事として載っています。

 一万円札を食べることはできません。お金はいのちを養ってくれません。いのちを養ってくれているのは、母なる大地です。それなのに、お金と引き換えに、大地を放射能で汚してしまったのですから、何という愚かなことを私たちはしたのでしょうか? 


第3部・見えない敵(3)郷土喪失/「本当の飯舘」戻らず(河北新報2012年06月17日)

 豊かな自然とそれを生かす農村文化を最大の地域資源と位置付け、環境保全型農業の振興と地元資源の高度利用を軸に、独自の発想で村づくりを進めてきた。 スローガンは「までいライフ」。「丁寧な」を意味する方言「までい」になぞらえた「飯舘版スローライフ」の実現を掲げ、学校給食のほぼ完全自給を達成するなど、成果を挙げていた。

 放射性物質は、村が大切にしてきた農地や山菜の宝庫だった山々、イワナの泳ぐ川を容赦なく汚し、・・・

「村の豊かさの源だった土地が汚れてしまった。山を除染しなければ線量は下がらないが、除染すれば山の恵みも失われてしまう。山菜も採れず、農業もできない村は、もはや本当の飯舘村ではない」

肉体労働こそ

 出稼ぎをしなければならず、子どもの運動会も見に行ってやれなかったのが、原発特需で出稼ぎの必要がなくなったと、特集記事にはありました。でも、飯館村の「までいライフ」は出稼ぎをしなくても、原発に頼らなくても成り立つ暮らしを目指す取り組みでした。「までいライフ」を実践されていた方々は、今どんな思いでいらっしゃるでしょうか? せめてもの償いとして、本当に価値があるものは一万円札ではなく、大地であり、また、その大地の上で汗を流して働くことなのだと肝に銘じたいと思うのです。 そして、「までい」な暮らしを取り戻すことで、お金に執着してしまう心を克服したいと思います。

 1020日の河北新報の特集では、交付金をあてにして借金にまみれていく町の財政についての記事があります。

「双葉町は道路、上下水道の整備に加え、図書館、総合運動場などのハコ物行政にのめり込んだ。だが、80年代後半から町への3法交付金は適用期限が切れ、原発からの固定資産税も減価償却に伴い減っていく」とあります。その結果、2005年には、「町の借入金残高は、一般会計の1.5倍に当たる86億円に膨れ上がっていた」のです。そして、「第1原発7、8号機の増設に伴う税収増を、借入金の償還財源に当て込」む事態に陥っていました。

 これは、双葉町だけの問題ではなく、人間ならだれでも陥りやすい落とし穴だと思います。ついつい楽な方に、安易な方に流されてしまうのが、私たち人間です。交付金のように、働かなくてもお金が転がり込んでくるような事態がその流れに拍車をかけます。まじめに働くことをやめると、人間はだめになりますね。働くことの価値、尊厳が失われ、怠惰がはびこるようになります。

 ガンジーが機械に反対したのも、そのような怠惰がはびこることを恐れたからです。怠惰になると人は、いかに楽をして、たくさんの物を得ていくかを考えるようになります。欲望が肥大していくのです。欲望の奴隷になり、自由を失い、不幸になっていきます。

 人の幸せは、どれほどたくさん所有しているかではありません。高潔な生き方を身につけ、与えられているものに満足し、感謝できることが幸せの秘訣です。だからこそ、すべての人が肉体労働に従事しなければならないと、ガンジーは主張するのです。大自然の中で汗を流すときに、私たちは自分の限界に出会い、人の助けを必要とする自分に気づき、謙虚さを身につけることができます。そして、他者と協力し合い、手塩にかけた本物を手にすることができた時、心からの満足を得ることができます。

 文化を残そう

 1019日の河北新報では、いわき市内でとれた玄米から100ベクレルのセシウムが検出されたと報じられています。(正確には102.8ベクレルですが、上位3桁目を四捨五入するので、100ベクレルとなるそうです。) 故郷を離れたくない気持ちはわかりますし、それぞれの事情もあるでしょうが、西日本に耕作放棄地がたくさんあることを考えれば、移住できる人は移住して、少しでも安全な作物を育てることが、日本の子どもたちを守るために必要なことだと思われます。

 原発事故は日本版「バビロン捕囚」ではないかと、私は感じています。ユダヤの民はバビロンに連れていかれますが、約70年後に帰還します。セシウムの半減期が約30年とすれば、70年後にはかなり放射能も減っていることでしょう。帰還できる状態になる日まで、そっと自然の復元力に委ねるしかないと、私は思うのです。自然が「もう帰ってきてもいいよ」と言ってくれるその時まで、それぞれの移住先で「までいライフ」を実践することができれば、孫たち子孫が、本当の飯館村、本当の福島を取り戻してくれるでしょう。

 私たちはみんな、いつかはこの世を去らなければなりません。そして、すべてを子どもや孫たちに託すしかないのです。ですから、大切なことは、土地にしがみつくことよりもむしろ、私たちが先祖から託された生活の知恵や文化を子どもや孫たちに伝えていくことです。それができれば、移住したとしても、文化は消えずに残ると思うのです。

 戦後の高度成長の時代に、私たちの暮らしは大きく変化しました。おばあちゃんの知恵が伝えられないまま、失われています。これをそのままにしていたら、たとえ故郷にしがみつくことができても、文化は失われてしまうのではないでしょうか? 

 糸紡ぎ、継続してこそ

 糸紡ぎもそのような失われつつある文化の一つです。糸紡ぎに興味を持ってくださる方、実際に糸を紡ぐ方が増えています。糸紡ぎワークショップの依頼も増えていますし、皆さん楽しんでくださいます。そして、糸紡ぎを続けたいからと、チャルカ(糸車)を購入してくださる方もいます。それはとても素晴らしいことです。大切な一歩を踏み出していると言えるでしょう。そのことはとてもありがたいですし、嬉しいことです。

 でも、一方で、せっかく購入したチャルカが使われないで、放置されていることもあるようです。糸紡ぎは、衣類という必需品を自分の手に取り戻す手段として意味があることですから、服が完成するまでとことん続けることが大切です。

 でも、糸紡ぎ以外にも大切なことはたくさんあります。何か一つ、魂が喜ぶことに徹していくことができれば、糸紡ぎに固執することはないと思います。ですからもし、チャルカを購入したけれど、使っていないという方がいらっしゃるなら、一台3000円で買い取りたいと思っています。ご連絡ください。そして、糸紡ぎをしたいと思う人の手に渡るようにしたいと思っています。インドの職人が日本人のために手作りしてくださったチャルカです。いつも使われている状態でないと申し訳ないと、わたしはそう思うのです。



No.37 2012年5月16日発行

 春ですね。種まきの季節です。しかし、秋田は暖かいかと思うと、急に肌寒くなったりするので、なかなか綿の種を蒔けないでいました。でも、そろそろ蒔かないと・・・。
 寒さに比較的強いベニバナと藍の種は、先月(4月)下旬、雪解けと同時に蒔きました。肌寒さをものともせず、本葉も出始め、少しずつ育ってきています。
 
 震災・原発事故… そして秋田県でも、震災がれきの焼却が始まってしまいました。これから先どうなっていくのだろう、という不安はあります。でも、だからこそ、地道な取り組みが求められているとも言えます。「たとえ世界が明日滅びようとも、私は今日リンゴの木を植えるだろう」(宗教改革者ルターのことば)の精神で、私は今日も生きていたいのです。

避難するか、しないか
 子どもたちを被曝から守るためにTeam二本松を設立し、食品の放射線量を測定するなどの活動をされている佐々木道範氏の講演を聴く機会がありました。鎌仲ひとみ監督の映画『内部被ばくを生き抜く』にも出演されている方です。重い、重い苦悩の現実がそこにありました。コーヒーを飲むか、紅茶にするかのような些細なことではない、子どもの命にかかわる重い選択を日々迫られ、残酷なことに、時間は刻々と過ぎていきます。しかも、いつ終わるともしれない…出口が見えない状況です。
 「どうして避難しないの?」と、軽々しく言ってはならないことにも気づかされました。父親が仕事を捨てて避難することは本当に難しいです。母子避難となった場合、子どもたちの身体は守れても、心が壊れてしまうかもしれません。
 「どうして避難しないの?」という言葉の背後に、自分たちを正当化したいという動機が隠れているような気がします。避難しなかった人たちの自己責任だと言ってしまえば、私たちにできることがあったのではないかと、悩まなくて済みますから… 
 ただし、避難が必要なくらいに汚染されてしまった地域が広大に存在することは事実ですから、避難が容易になるような施策は必要だと思います。“経済的な補償ができないから、安全なことにする”というのが、今の政府がやっていることのようですが、危険性をはっきりと知らせるべきでしょう。危険だということが共通認識になれば、お父さんたちが仕事に縛られる度合いも減って、避難の決断が容易になるような気もします。
 それでも避難できない人は存在するでしょうし、苦渋の選択であることには、変わりありません。だから、それぞれの選択を尊重して、助け合うことが大切ですね。避難するか、しないかで、人々が分断されてはなりません。避難した人もいつでも戻ってきたら、暖かく迎えられる・・・避難できない人も、時には避難した人を訪問できたり・・・そして、いつまでも、同郷の友としていられたら… 不可能ではないはずです。そういう、今までよりも、もっともっと暖かい人間関係を築いていけたら、この震災がそのきっかけとなれば、素晴らしいことのような気がします。
 そして、被災しなかった地域でも、人々を温かく迎え入れ、もてなす心が培われるなら、震災によって、日本は変わっていけるのではないかと、私は感じるのです。

究極の自然エネルギー
 エネルギー問題の解決にも、人々が手を取り合うことが、鍵であるように思えます。原発の事故以来、自然エネルギーにシフトしようという主張があります。太陽光、風力、さらには波力・潮力までありとあらゆるエネルギーが利用できるではないかと、主張されています。でも、ひとつだけ忘れられているとても身近にあって、とても使い勝手の良い動力があるのではないでしょうか? それは、手足です。
 太陽光パネルも風車も、それを作るためには、レアメタルが必要だったり、もちろん電力などのエネルギーも必要です。そろそろ元が取れたかなという頃に耐用年数が来て、廃棄物になるかもしれません。でも、手足は、今すでにここにあり、そして生きている限り使えます。さらに、使えば使うほど、鍛えられより良い働きができるようになります。これを使わない手はないと思うのですが… みんなで協力して手足を動かしていく未来を私は描きたいのです。単に震災前に戻るだけの復興は、つまらないような気がします。
 例えば、綿を育てて、糸を紡ぎ、布に織り、服を作ることができれば、それだけで相当のエネルギー削減になります。「バングラデシュの機織り職人は電力を使用しないため、職人1人あたり機械織りの布生産に比べ1年に1トンのCO2排出量削減に貢献しています」(『By Hand』サフィア・ミニー著・幻冬舎ルネッサンス・2009年)
 糸紡ぎなんて、・・・反近代的で、やっていられないという思いがわいてくるとすれば、教育による洗脳ではないでしょうか? ガンジーは、肉体労働を尊びなさいと主張しました。そして、肉体労働を蔑視することを子どもたちに教えるような教育は間違っていると、独自の教育論も展開します。
 機械を使うことが近代的で、進んでいるというのは、思い込みにしかすぎません。機械は人手を省きますから、失業者が必ず生じます。大型機械を所有する資本家は、その弱みに付け込んで、労働者を競争させ、労働力を買いたたくのです。豊かなものはますます豊かに、貧しいものはますます貧しくなるのが、宿命です。資本家が、さらなる富を手にするために、機械が素晴らしいという幻想を振りまいているのです。
 これに対して、ガンジーは、すべての人が豊かになることを追求しました。そして、ただ単なる物質的な豊かさではなく、精神性も含めて人間が全人格的に成長することを目指したのです。そして、そのためには、人は肉体労働を手放してはならないとガンジーは主張したのです。

マイホームから古民家へ
 新しい未来を作っていかなければなりません。命がもっと、もっと大切にされる未来でなければなりません。とりわけ、未来の世代の命を守る必要があります。私たちはこれまで、自分だけ、今だけ良ければという生き方をしてきたように思います。でも、それで幸せだったでしょうか? 自分が何かを得ていくことを目標とする生き方は、むなしいような気がします。ローンを組んで、マイホームを手に入れても、退職するころにはリフォームが必要になっていたりします。
 先日、古民家で糸紡ぎのワークショップをさせていただきましたが、とても素敵な空間でした。重い扉に厚い壁で閉ざされた私だけのマイホームと違って、昔の日本家屋は、縁側があって、どこからでも家に入れる開放的な造りになっています。みんなで共に過ごすにはもってこいの空間です。こんな日本の古民家のように、私たちも心の壁を取り払って、互いを受け入れあうことから、始めていきたいですね。そして、互いの得意分野を提供し合って、命が喜ぶ楽しい活動をどんどんやっていったらよいと思うのです。
 例えば、糸紡ぎもそんな活動の一つだと思います。一人で紡いでいると、心を穏やかにしてくれる、瞑想の時となります。みんなで紡げば、楽しいおしゃべりの花が咲きます。食べるものも着るものも、こうやって時には黙々と働いて、時にはみんなでおしゃべりを楽しみながら、手に入れられるものであったはずです。生きるとは、こういう暮らしを言うのだと、一人また一人と、気づいていく人が増えてくれればと願います。これが、未来の命を守ることにつながるはずです。
 原発を廃炉したいなら、原発のエネルギーに頼らなくてもできる、もっと楽しい生き方がここにありますよと示すことでしょう。これが回り道のように見えて、最短の道ではないでしょうか? だから私は、こういう危機の時だからこそ、糸紡ぎに精を出すのです。

No.36 2012年1月8日発行

 2012年、新しい年が始まりました。

昨年は、震災に原発事故…いろいろありましたし、私自身も秋田県に引っ越し、変化の多い年でした。しかし、人の務めは、与えられた使命を変わりなく、黙々と果たしていくことのような気がしています。

 昨年も、綿を育て収穫の喜びを味わうことができました。綿花にとっては、寒冷で厳しい気候でしたが、会津綿という寒さに強い品種に出会うことができたのも、感謝なことでした。

 機織りの産地は雪国に多いのですが、それは雪がもたらす湿度が、機織りには欠かせないものだからです。湿り気があると経糸が毛羽立つのを防ぎ、スムーズに織り上げていくことができます。雪景色を眺めながら、機織りにいそしみたいと思っています。

「豊かさは貧しさを前提にしている」

 このガンジーの言葉に昨年末、出会いました。私たちは、豊かになることを無条件に良いこととして、追求してきたように思います。しかし、豊かになった人がいれば、必ず貧しくなった人もいるのです。途上国から富を吸い取った結果の、日本の豊かさだったと言えるでしょう。そして、今は、日本の庶民も吸い取られる側となり、一部のお金持ちだけがますます豊かになり、庶民は貧しくなっていく構図が出来上がっているようです。

 そこで、一部のお金持ちが蓄えている富を、奪い返さなくてはと考えがちですが、豊かさや富を求めるのではなく、それらを手放す生き方、暮らしを考えてみても良いのではないでしょうか? 豊かさや富を手放した先にある幸せを私たちは展望する必要があると思うのです。そして、そのような暮らしが実現できたら、もう、お金持ちの餌食にならなくても、私たちは生きていけるような気がするのです。

『寡(すくな)きを患(うれ)えずして、均(ひと)しからざるを患う』

 これは、孔子の言葉です。みんなが平等であれば、少なくても、乏しくても満足できるはずです。ゼロだと困りますが、少しあれば足りるということを私たちは知る必要があると思います。

 手仕事をしていますと、少ない方が助かるということがよくあります。畑もあまり広いと手入れが大変です。秋田は気温が低いので、新潟ほどの収穫はできませんでしたが、それでも狭い畑から、500グラムほどの綿花を収穫できました。新潟時代の綿を加えると、すでに段ボール箱3箱もたまっています。紡いだり、機織りしたりが追い付かないのです。欲を出して、たくさん栽培しても意味がないのです。ほどほどで十分だなと思います。それで手仕事を思う存分楽しめますし… 一つ一つの作品が、思い出深い愛着のあるものとなっていくわけです。大切に、長く着ていたいと思います。着せ替え人形のように毎日着替えなくても、清潔さを保てるだけの衣類があれば十分なのでした。

 チャップリンも『ライムライト』という映画の中で、人生に必要なのは、「勇気と想像力と少しばかりのお金」と語っています。少しのお金で私たちは幸せに暮らせます。

 原発を廃炉にしたら、経済が停滞すると主張する方もおられます。経済的に繁栄することがそれほどまでに大切なのでしょうか? 経済が停滞すると失業者が増え、仕事がなくなると心配でしょうか? 仕事がないと食べていけないのでしょうか? 

不服従運動を可能にするには

 私たちの食べ物も、着るものも、大地から来ることを忘れていないでしょうか? 大地とつながっていれば、失業してもそれほど困らないかもしれません。江戸時代の大工さんは、半農半大工だったと言われています。普段は畑仕事をして、家を建ててくれと頼まれた時だけ、出かけていたのです。米や野菜は自給していましたから、しばらく仕事にあぶれても、とりあえず食べていくことはできました。

 ところが、今の大工さん、あるいは建設業者は、建設する仕事しかしていません。その仕事で得たお金で食べ物などを購入していますから、仕事が来ないと困るわけです。それだけ立場が弱いのです。だから、環境を破壊するような仕事でも、時には買い叩かれて赤字覚悟でも、仕事がないよりはましと、仕事を引き受けてしまいます。サラリーマンも同様です。

 ガンジーは、警察官や村の役人、裁判官など、英国政府の手先となっているインド人に向かって、そのような仕事はやめて、不服従運動に参加しようと呼びかけました。そして、実際に多くの人が仕事をやめて、ガンジーの運動に加わりました。なぜ、それができたのでしょうか? ガンジーは、アシュラムという共同生活の場をインドのあちこちに作っていました。そこでは、人々が共同で農作業や手仕事に従事して食べるもの、着るもの、その他の必需品を手に入れていました。ガンジーの呼びかけに答えて、仕事をやめた人たちは、このようなアシュラムで指導者になっていきました。不服従運動では、多くの逮捕者を出しましたが、アシュラムがあったおかげで、逮捕覚悟で不服従を貫けたのです。逮捕されても、アシュラムのおかげで妻子が路頭に迷う心配がなかったからです。

 つまり、大地とつながっていて、仲間がいるということは、強さなのです。江戸時代から明治時代になった時、近代化路線のもと、あちこちに工場が建てられますが、農村で自給自足型の暮らしをしていた人々は、自分の裁量で働いていましたから、雇われ仕事に就くことに魅力を感じませんでした。そこで、従業員を解保するために、終身雇用、年功序列型の賃金を保障し、社員を家族のように大切にしたわけです。ところが最近では、農村から人を連れてこなくても、都会のサラリーマンの子弟が就職する時代となりました。彼らはすでに大地とのつながりが切れていますので、就職できなければ、食べるものにも事欠いてしまいます。そういう弱みに付け込んで、終身雇用も、年功序列の賃金も廃止していっているのが、今の状況です。

 弱みに付け込まれたり、資本家の餌食にならないためにも、私たちはもう一度、大地や仲間とのつながりを取り戻す必要があるのではないでしょうか?

ビジネスから暮らしへ

 農業や手仕事は遅れたこととみなす風潮があります。農産物の価格が低迷しているから、農業では食べていけないという考えが染みついています。だから、経済が低迷し、失業者が増えても、農業という選択肢は思い浮かばないかもしれません。

 しかし、ガンジーのアシュラムでは、販売するのではなく、自分たちが必要とするのものを生産して、分け合っていました。そうすれば、価格の低迷という問題を克服できます。仮に一人年間60キロの米を食べるとすれば、それは命を1年間養う価値があるのです。値段をつけるべきことではありません。命に値段がつけられないのと同様です。だから、あらゆるものを金額に換算して、どうすれば生活費をまかなえるかと、考えるのはやめたいです。

 自分一人で生活必需品をすべて作り出すことはできません。しかし、ともに助け合い、支え合える仲間がいれば、お互いが作るものを譲り合うことができ、販売しなくても生活が成り立つのではないでしょうか。そしてビジネスに頼らなくても成り立つ、新しい生き方を目指してみたいと思っています。私は脱ビジネスということを考えたいです。ビジネスはbusy(忙しい)ことという意味です。忙しいとは心を失うことです。私は、忙しさの中で失ってきた心を取り戻したいと思っています。そのためには、ビジネスではなく、暮らしとしての農的生き方を模索したいですし、金銭的な収入よりも、仲間とのつながりこそが、本当の意味での支えであることに、改めて目を向けたいと思っています。

 昨年も多くの人に支えられ、助られて、ガンジーの取り組みを続けることができました。私にとっては、何よりの宝が、このように支えてくださる方々です。

 きっと今年も、多くの人に支えていただくことになるでしょう。多くの人に支えられて、私は本当に幸せだなと思います。ただ、ただ、感謝することしかできませんが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



No. 35  2011年9月1日発行

 暑い中にも、秋の気配が感じられる時期となりました。

いかがお過ごしでしょうか?

 感謝なことに、秋田の地でも綿は元気に育ってくれています。コットンボールもたくさん付き、かなり大きくなったものもあります。・・・綿花が噴き出てくるのも、もうすぐでしょう。楽しみです。

鉄砲を捨てた日本人

 先日は大曲花火大会でした。花火を楽しみながら、以前読んだ本、『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』(ノエル・ペリン著・中公文庫)のことが浮かんできました。戦国時代が終わって江戸時代になった時、火縄銃の火薬を扱っていた職人は、花火師に転職したそうです。武器を手放した時、こんな素晴らしい平和の文化が花開いたのです。

 『鉄砲を捨てた日本人』には、「武器が進歩すると、殺される人数や速さが増し、人間の道徳的発達も損なわれる」と書いてあります。

この本の翻訳者、川勝平太氏は、訳者あとがきで、「近世社会では儒教が国教とされた。儒教は、為政者が身を修めれば、家が斉(ととの)い、国が治まり、天下は泰平になると説く。徳によって権力の正当性が根拠付けられる社会では、軍事力による支配は馴染まないであろう。有徳富国であることがこの国のかたちでありえたのである。」と、指摘しています。力よりも徳を重視した結果、鉄砲に頼ることは、潔いことではないと考えられたようです。

有徳富国こそ、いま私たちが思い巡らすべきことではないでしょうか。徳とは何でしょうか。国語辞典を引いてみますと、「道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。また、その結果として言語、行動に現れ、他に影響、感化をおよぼす力」とありました。「理想に向かって心を養い、実現していこうとすること」は、どんな時代であっても、大切にされなければならないと思います。

 「理想ばかり語らないで、現実を見ろ」と言われることがあります。しかし、戦争という現実ばかり見て、平和という理想を語るのをやめたら、どうして平和を実現することができるでしょうか。

 聖書に「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書 2 4節)という言葉があります。

 これが実現できたら、どんなに素晴らしいだろうと思いながら、どこか夢物語だと思ってしまう自分がいました。しかし、江戸時代の日本でこれが実現したのです。『鉄砲を捨てた日本人』に「鉄砲鍛冶は次第に減少し、・・・いくつかの火縄銃についてはこれを農具に打ち直したことは疑いようがない」という記述があります。可能だと信じなければ、何事も始まりません。信じることからすべてが始まります。

方向を間違えないこと

 しかし、何を信じるかも、また非常に重要です。原発は安全だと信じてきた結果が、今の福島です。命よりも経済的繁栄、お金を大切にしてきた結果と言えるかもしれません。そして今も、子どもたちを疎開させるよりは、放射能レベルの基準値を上げて、安全なことにして誤魔化そうとしているのですから、命が軽視されていると言わざるを得ません。一人一人の命が本当に大切にできてこそ、有徳富国と言えるのではないでしょうか。

良い暮らしをするには、競争に勝つことだと、がむしゃらに頑張ることばかりが強調されて、何をやるべきで、何をやってはいけないか、どういう方向に進むべきかを考えることを忘れていたような気がします。しかし、競争に勝つことがそれほど大切でしょうか。人の足を引っ張ったり、騙し合ったりということになりがちです。競争ということは忘れて、良い仕事をして、自分と人の命を大切にし、幸福になることに徹してみたらいかがでしょう。

 花火大会では、それぞれの花火業者が粋を集め、数寄を凝らした花火で私たちを楽しませてくれました。花火大会のために、毎年、精いっぱいの努力をされています。

 最近は一生懸命とか、努力が嫌われる傾向にあります。いい大学に入ったり、立身出世のための努力が賞賛されてきたからでしょう。そんなことのための努力であれば、やめておいた方が良いかもしれませんが、命が大切にされ、自分と人が幸せになる方向であれば、精いっぱい努力することはやはり尊いことだと思います。

本気で生きること

 坂村真民氏の詩に「本気」という詩があります。
 
  本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる
  変わってこなかったら まだ本気になってない証拠だ
  本気な恋 本気な仕事
  ああ 人間一度 こいつを つかまんことには

 この詩にあるような本気になるということを、私たちは忘れてはいけないと思うのです。本気で命を守ろうと思った時に、いま私たちが何をしたらよいかも見えてくるはずです。

 どんな犠牲を払っても、放射能汚染地帯にいる子どもたちを疎開させなければなりません。そして、除染をして、新しい日本を作っていく必要があります。

 原発を廃炉にしなければなりませんし、震災によって仕事を失った人々に、誇りを持って生きていける仕事が与えられなければなりません。原発を自然エネルギーで置き換えていくのも一つの方法かもしれませんが、私はむしろ、電気に頼る度合いを減らしていく新しい暮らしを実践することが、原発を廃炉にして、仕事を生み出す近道のような気がしています。家庭での節電だけにとどまらず、手仕事を見直すことで、工場を不要のものとするのです。大型機械に頼らなければ、電気の消費量は劇的に減らせます。しかも、手仕事は人手を必要としますので、多くの人で仕事を分け合うことができます。

 手仕事に戻ろうと主張しますと、江戸時代の不便な暮らしのどこが良いのかと、反論されることがあります。しかし、手仕事に戻ることが、不便や不衛生につながるわけではありません。

 「学者の設定する選択というのは、社会のあらゆる分野における連続的な進歩をとるか、はたまた中世の暗黒時代に後戻りをするのか、こうした類の選択なのである。言い換えれば、中性子爆弾と遺伝子工学とをもって前進するのか、または歯科医術も窓ガラスもあきらめて不便な生活に舞い戻るのか、という選択なのだ。したがって、どれか特定の技術だけを選択すること、これはできないと彼らは想定しているのである。」と『鉄砲を捨てた日本人』に書いてあります。

このような設定しかできないとすれば、私たちは思考停止状態に陥っていることになります。兵器の開発は後退させながらも、灌漑用水路の建設など、人々のためになる分野では着実な進歩を遂げたのが江戸時代でした。

 仕事を選ぶときに、その仕事が命を大切にするか、社会の幸福につながるかどうかを、考えることができたら素敵ですね。手仕事に戻っても、インターネットをあきらめる必要はありません。パソコン製造などの工場は残しても良いでしょう。でも、必需品である衣類は、手仕事で得ていく方が楽しいと思います。糸紡ぎ・機織り、陶芸、竹細工、紙漉き・・・いろいろな仕事を復活させることができれば、好きなことを生業にして、楽しく生きていけるのではないでしょうか。たった一度しかない人生ですから、自分が心から楽しめることを仕事にしたらよいと思うのです。楽しいことに本気になって従事することで、幸せな社会が実現するとすれば、これほど素晴らしいことはありません。

No.34  2011年5月5日発行

秋田県に引っ越してきました。
 4月6日に新潟県上越市から荷物を出し、7日に秋田で受け取りました。当初は、3月末に引っ越す予定でしたが、震災によるガソリン不足のためにトラックが動かせないということで、引っ越しが1週間あまり遅れました。それでも、無事に引っ越しができてほっとしています。
 引っ越しなどで忙しく、昨年12月発行予定だった通信はお休みとさせていただきました。今回、本当に久しぶりの発行となりました。

建設的な生き方
 3月に起きた東日本の大震災と原発の事故。とりわけ原発の事故を目にして、全てが手遅れになってしまったという思いに囚われてしまいました。こういう時こそ、心を鎮める必要がありますね。糸紡ぎは、取り乱した時の特効薬のようです。糸を紡ぎながら、「自分に何ができるか?」思い巡らせてみました。
 恐れや怒りからは何も生まないということが、まず気づかされたことでした。ですから、恐れと怒りを手放すことにしました。恐れたり、怒ったりする時間があれば、その時間をもっと建設的なことに使いたいと思ったからです。もちろん、全てを曖昧にして、諦めることではありません。怒るよりも建設的なことがあるはずです。過ちを繰り返さないで、本当にみんなが幸せになって、本物の豊かさを手に入れて生きる道があるはずです。これが私の言いたい建設的な生き方です。では何をしたらよいでしょうか?
 多くの方々が、ボランティアとして被災地に入って行かれていました。とても素晴らしいことです。また、そこまでできなくても、ボランティアとして行かれる方々に、資金、物品、思いを託すこともできます。さらには、今回の自然災害と人災を教訓として、新しい生き方、暮らし方を提案することもできることですし、やらねばならないことだと思います。

原発の廃炉を目指して
 自然の大きな力の前には、私たち人間はあまりにも非力な存在です。だからこそ、自然災害に人災が加わるような事態だけは避けねばなりません。地震はいつ起こるかわからないのですから、日本にある原発を全て止めることが急務です。
 しかし、東電や政府をはじめ、原発を推進してきた人々を非難することで、廃炉が達成できるわけではありません。先にも書きましたように、怒りや恐れからは何も良いことは生じないからです。東電や政府に協力してきた私たち一人一人の生き方が問われています。「協力してきたつもりはない」と言われるかも知れません。しかし、福島原発が稼動を始めた1970年代よりも多くの電気を使うようになった人は、みんな東電や政府の政策に、いつの間にか協力してきたことになります。私たちが支払う電気料金が彼らを支えてきたのです。一世帯あたり電力消費量の推移(http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_04/index.html)出典:「原子力・エネルギー」図面集2011によれば、1970年は1世帯1ヶ月平均118.8kwhだった電力消費量が、2009年には283.6kwhへと、右肩上がりで増加しています。この間、省エネ技術も開発されてきたでしょうが、増加に歯止めはかかっていません。この事実を直視することなしに、私たちは廃炉を実現させることはできないのではないでしょうか?
 そして、もうひとつ忘れてはならないことは、原子力産業は、日本ではすでに一大産業になってしまっているということです。原発関連の仕事で収入を得て、生活をしている方々が大勢います。原発内で働いている人だけでなく、原発労働者がいてくれるおかげで商売をすることができる商店主もいます。彼らにとって、原発がなくなることは、生活の糧を失うことを意味します。原発が立地する過疎地では、他の仕事を見つけることは容易ではありません。米の買い取り価格が低迷していますから、農業だけで生計を立てることもなかなかできることではありません。
 『食の歴史と日本人』(東洋経済新報社・川島博之著・2010年)に次のような指摘があります。「明治時代は、米生産額がGDPに占める割合は20%から40%程度であった。その後それはほぼ一貫して減少…、2002年の値は0.4%でしかない。米は日本人に欠かせないものであるが、昨今、それを入手するのに必要な金額は、所得のわずか0.4%に過ぎない」(pp.107-108)
 日本の米は高すぎるのでしょうか? 国民が安い米を求めるから、農業は一生懸命働いても報われない仕事になってしまいました。それでも、先祖代々受け継いできた農地を守りたいというのが、お百姓さんの気持ちです。農業をしながら、生活の糧は別に得る必要が生じました。雇ってもらえる仕事が、農地の近くにないと困るのです。
 「原発がなくても電気は余っているから、廃炉にできるはずだ」という主張があります。そんなことはわかっていても、原発の仕事で生活している人は、その地域で農業をしながらできる原発以外の雇われ仕事がないのですから、廃炉になっては困るのです。そして、人は誰でも自分の仕事に誇りを持ちたいものです。家族が原発関連の仕事についていれば、原発を目の敵にされるのは辛いものがあるでしょう。ですから、ただ原発の危険性を訴えるだけでは、感情的なしこりを生じさせることにもなります。
 原発関連の仕事についている人々は、危険性を直視するよりも、安全であるという政府の発表を信じこみ、原発のおかげで町が潤っていることを目にして、自分の仕事に意義を見出したいという心理も働いているはずです。そして、彼らは、年老いた親を見捨てずに、過疎化が進む地元に残ることを選んだ心優しい人たちでもあります。
 そのような、原発関連労働者の感情にも配慮しながら、廃炉を実現するにはどうしたらよいかを私たちは考える必要があります。

新しい暮らし、生き方を創造する
 過疎地には、農地・休耕田がたくさんあります。耕すことで暮らしを成り立たせることができるようになれば、農業以外の雇われ仕事を求めなくてもすみます。私たちが生きていくのに必要なのはお金ではなく、米や野菜だということをもう一度思い出す必要があります。どうして農作物を販売してお金に換えないといけないのでしょうか? 直接食べればよいのに・・・お金に換えようとするから、価格の低迷という問題に直面して、大規模化しなければとか、他の賃労働が必要だとかとなっていきます。
 お金で何を買っているでしょうか? 消費を煽られ、必要もないのに購入しているものはないでしょうか? 地域での助け合い、相互扶助という方向を模索していけば、子どもの教育も、介護も互いに教え合い、助け合う中で、費用をかけずにやっていく方向が見つかるかもしれません。家を建てるのも、裏山の木をみんなで伐り出して、協力して建てることができれば、住宅ローンという問題も回避できるかもしれません。
 今回の津波で自家用車を流されてしまった人が大勢います。中古車を買い求める人が増えているために、中古車の価格が上昇しています。バスなどの公共交通機関を整備したり、カーシェアリングを考えても良いのではないでしょうか?
 今までどおりの生活に戻そうとするのではなく、新しい未来を創っていきたいものです。それは被災された人だけの話しではありません。津波による塩害と放射能汚染で使えなくなった農地がたくさんあります。被害を受けていない休耕田が住まいの近くにあれば、まずは耕すことではないでしょうか?
 傲慢にもお金を払えば、何でも手に入ると思い込んできました。しかし、傲慢の傲の字は、人が土を放すと書きます。私たち一人一人が、これまでの生き方を反省し、頭を垂れて、耕す生活を始める時です。買う生活から自ら作る生活への転換です。そして、賃仕事に頼らなくても生活ができること、そしてそのような生活が幸せであることを周囲に示していくことができれば、原発がなくなると困ると思い込んでいる人々に、「そんなことはないよ」と、伝えていくことができるのではないでしょうか? これが廃炉に至る唯一の道だと思います。
 次の大きな地震が起こる前に、廃炉にすることができることを願いつつ、私は秋田でも種を蒔き、糸を紡ぐつもりです。

No.33  2010年9月17日発行

 今年の夏は本当に猛暑でした。いかがお過ごしでしょうか? ここに来てやっと猛暑も一段落したようです。季節は確実に秋に向かっています。綿の収穫が始まりました。5月に気温の低い日が続き、発芽した双葉が黄色くなったりして、やきもきしただけに、収穫の時期を迎えられほっとしています。弱々しかった茎が、いつの間にか木のように硬くなり、しっかりと根を張っています。毎年のことながら、わずか半年ほどで綿がここまで成長することに、自然の偉大な営みを感じます。

新潟最後の年
 今秋、夫が秋田に転勤することになりました。年老いてきた両親のことを思うと、実家のある岡山県の近くに行きたかったのですが、なかなか思うようになりません。新潟での綿の収穫は今年が最後になります。綿栽培の北限は新潟と言われていますので、秋田での栽培は難しいかもしれません。そこで、マルチやトンネル栽培など、いろいろ工夫してみたいとは思っていますが・・・、綿が栽培できる地域の方に種を託したいとも思っています。来春、綿(特に茶綿)を育ててみたい方は、ご連絡ください。
 夫は10月1日付で転勤です。しかし、綿の収穫はまだ始まったばかりです。これから11月末までは収穫が続きます。大切に大切に育ててきた綿です。そして、春先の寒さ、夏の旱魃に耐えて実をつけてくれた綿のことを思うと、残して引っ越すことはできません。また、年度末まで私自身の仕事もあります。ということで、半年間、夫には単身赴任をしてもらうことになりました。これからの半年間、不安もありますし、経済的にも厳しいです。
 しかし、新潟に引っ越してきてからのこの6年半に、本当に多くの素晴らしい方々との出会いが与えられました。そのすべてに感謝をするには、少なくともあと半年が必要です。ここ数ヶ月で、「わたの会」(糸紡ぎ講習会)に、新しい方々が増えています。新しく来られるようになった方々に糸紡ぎのこつをつかんでいただき、「わたの会」の引継ぎも行わねばなりません。これからの半年を大切に過ごして、新潟に来て出会うことができた全ての人に、今私が伝えられるものを伝えていくことができれば、私にとってこれほど嬉しいことはありません。

損得を超えた世界
 今の世の中は、損得勘定が幅を利かせています。損か得かで考えれば、綿や糸紡ぎのために、半年間、夫に単身赴任をしてもらうのは割に合うことではありません。私が仕事で得ている収入を上回る経費が、単身赴任にはかかってしまいます。仕事を辞めて、綿も、「わたの会」も見捨てて、子どもをつれて引っ越せば、経済的には大助かりです。
 しかし、自然を見ていますと、「損をしたっていいじゃない」という思いが湧いてきます。自然は本当に惜しみなく私たちに与えてくれます。一粒の種が、何十倍にもなって返ってくるのです。お金を払えと要求してくることもありません。ただ、どうぞと言わんばかりに、実をならせているのです。だから私も、もし与えることができるものがあるのなら、どうぞと差し上げたいのです。なぜなら、私自身が多くのものを与えられて、ここまで来ることができたからです。とりあえず、今、生活に困らないだけのものが与えられていて、私を支えてくれる人たちが大勢います。本当にありがたいことです。そのすべては、天の計らいと言うしかありません。だから、経済的なことや、将来の不安も全て、天の計らいに委ねたいと思います。そして、今は、今ここでやるべきことに集中したいと思うのです。
 自然界は本当にうまくできています。それなのに、人間が欲を出して、もっと楽をして儲けようと考えて、化学肥料や農薬を撒いたり、高収量の種子を導入したりします。しかし、そのことによってかえって問題が生じてきています。高収量品種は、水や肥料が大量に必要で、持続可能な農業ではありません。最初はたくさん収穫できるかもしれませんが、やがて土地が荒廃してしまうのです。むしろ、そういう欲望に捕らわれないで、自然の豊かさに身を任せることが、つまり、じたばたしないことがかえって良い結果を生むのではないかと思います。
 今やっと、新潟でいろいろなことが軌道に乗り始めて、どうして秋田に引っ越さねばならないのだろうという思いはあります。でも、きっと、秋田で出会わなければならない人が待っているのでしょう。じたばたしないで、委ねたいと思います。

本物を求めること
 ところで、糸紡ぎの講習会をしながら、不思議だなと思うことがあります。根気が必要で、難しいことなのに、楽しんでくださるからです。機械を使って楽をすることが、進歩だと、そして良いことだと思い込んでいた私たちですが、人は本当は難しいことに挑戦したいのかもしれません。美味しいお菓子やお茶の用意があるわけではなく、ただひたすら3時間、糸を紡ぐだけです。人をひきつけるもてなしもせずに、続くわけがないと言われたこともあります。でも、不思議なことに人が増えているのです。3時間もくもくと糸を紡ぐことに、お茶やお菓子と同じくらいの魅力がなければ、あり得ないことです。そして、実際に魅力があるのです。物を作る喜びこそ、人を虜にしてしまう魅力です。機械を利用すれば、確かに便利です。でも、物を作る喜びが奪われました。失敗しながら、苦労をしながら、工夫をして、何かを作り出していくこと、そこに本物の喜びと楽しさがつまっていたようです。
 糸を紡ぎながら、ガンジーの思想などを紹介させていただくこともあります。かなり、硬い、真面目な話になりますが、真剣に耳を傾けてくれます。人は真面目な話しにも飢えているのかもしれません。テレビではお笑い番組がもてはやされています。そういう軽い笑いが通り過ぎて行くとき、「人はどう生きるべきなのか」と、真剣に悩むことは、場違いのように思われて、うわべだけののりで調子を合わせてしまいがちです。しかし、だからこそ、真面目に語り合う場が求められているのかもしれません。
 環境破壊は深刻で、失業率も高止まり。今までどおりの生き方が通用しなくなりつつある時代です。だから、真剣に悩み、励ましあい、行動する場を糸紡ぎを通して提供できればと、思うのです。小さな取り組みでしかありません。しかし、ここから何かが始まりそうな予感がしています。
 あと半年、新潟でできることを精一杯やらせていただきたいと思っています。そして、来年からは、秋田で糸紡ぎを広めていきたいと思います。もし、秋田や東北での綿の栽培や手仕事などの取り組みについて、何かご存知の方がありましたら、お知らせください。
 
新刊『非暴力・平和・糸車  ガンジーに学ぶこれからの生き方』
 (片山佳代子著・ブイツーソリューション発行・星雲社発売・950円+税)
 2004年10月からに2009年7月までの約5年間、ガンジー思想を紹介するエッセイを市民メディア「ピースネットニュース」(http://www.jca.apc.org/peacenet/)に、連載をさせていただきました。その連載に加筆修正を加えて、整理したのが本書です。
 今の日本に生きる私たちにとって、ガンジーの思想がどのような意味を持つのかを私なりの体験をふまえて書かせていただきました。
 江戸時代の思想とガンジー思想の共通点にも触れてあります。西洋的考え方の延長線上ではなく、足元にある東洋の叡智に、現代の問題を解決するヒントがありそうです。
 9月下旬に刊行予定です。書店を通しての注文もできますし、アマゾン等で購入もできます。あるいは直接私のところに申し込んでいただいても、大丈夫です。どうぞ手にとって読んでみてください。




No.32  2010年4月29日発行

 今年の春は、肌寒い日が多く、不順な天気が続いていますが、それでもようやく新潟も暖かい日差しが感じられるようになりました。そろそろ種まきの準備です。「たとえ世界が明日終わろうとも、私は今日リンゴの種を蒔くだろう」という言葉があるそうですが、種があって、大地があるということに、希望をみることができますね。日本綿(白綿と茶綿)、藍の種を差し上げています。興味のある方はご連絡ください。

車社会とJR
 義父が急遽手術をし、入院したので、先日、実家のある岡山県までお見舞いに行ってきました。いつも駅まで迎えに来てくれる義父が入院してしまったため、今回は自動車で約600キロの道のりを、7時間余りかけて夫と交替で運転しながら帰りました。
 環境のことを考えると、JRを使いたかったのですが、今春のダイヤ改正で直江津駅を午前4時過ぎに出る急行能登号がなくなってしまい、その後は7時まで電車がないので、やむなく自動車となりました。
 自動車は確かに便利ですが、移動中運転以外にできることがありません。JRを使えば、読書をしたり、文章を書いたりを楽しめるので、私は、公共の交通機関を利用するのが好きです。駅で歩いたりするのも、ちょうどよい気分転換になります。
 それなのに、今は地方間を結ぶ交通網はかなり不便です。新潟はJR東日本で、富山以西はJR西日本であるためか、新潟・富山間のアクセスはあまり良くありません。新潟から大阪まで直通の特急もなく、金沢か富山で乗り換えるしかなく、特急券も通しで買えず割高となります。これだけ環境問題が叫ばれているのに、どんどん自動車に頼るように仕組まれているような気がしてしまいます。
 最近は病院も広い駐車場を完備できる郊外に移転しています。バスも電車も本数がそれほど多くない田舎では、自動車を運転できない義母が公共の交通機関を利用して、義父のお見舞いに行くのは大変で、結局、病院に泊り込んでいました。義父が再び自動車の運転をできるまで回復できるとよいのですが、そうならなかった場合、今後のことを考えると、あまりにも遠い所に住んでいるのは大変なので、西日本方面に転勤することになるかもしれません。

「しがらみ」から「つながり」へ
 知り合いが誰もいない土地で暮らし始め、いろいろな人間関係を一から築いていくには、それなりの時間がかかります。新潟で暮らし始めて6年が経ち、ようやく知り合いが増え、居心地がよくなったところでまた引越しというのは、残念なことです。・・・自分で選んでしまったこととはいえ、転勤のある暮らしは、根を伸ばせない不自然なものだと、今頃になってようやく気づきました。子ども達にも、大きな負担を与えてしまいましたし・・・
 戦後の歴史は、農民がサラリーマンになっていった時代だったと思いますが、根無し草的な不自然な生き方を助長してきたのかもしれません。これからのあるべき暮らしを考えると、一つの所に腰を落ち着け、大地と共に生きる暮らし方が、どうすれば実現できるかを考えていく必要があると思います。
 では、どうして私は田舎での暮らしに見切りをつけて、故郷を後にしてしまったのかを考えると、いろいろな理由があるのですが、ひとつは、やはりしがらみから逃げたかったのだなということに思い至ります。独身時代、「早く結婚しろ」と親に言われるのは仕方がないとしても、帰省するたびに近所の人からも同じことを言われると、閉口したものです。親切心からとは思っても、常に見張られているような窮屈さを感じてしまったのです。近所の人々との親しい付き合いがあるのは、悪いことではありません。しかし、結婚したら今度は、「子どもはまだ?」というのが挨拶がわりになるような空間というのは、ある面、息苦しさも伴っているような気がします。
 今、田舎暮らしが見直されつつあります。新規就農者も増えています。嫁不足という深刻な問題を抱える農村に、若い人たちが率先してやってこようとしているのは素晴らしいことです。しかし、田舎暮らしが素晴らしいという語り方をされると、いつの間に田舎はそんなに変わったのだろうかと、不思議な感じがします。田舎そのものが変わったというよりも、都会の人々の田舎を見る目が変化したということでしょう。「失われたつながりを取り戻そう」が合言葉のようです。しかし、「つながり」が「しがらみ」になってしまわないように注意することも必要かも知れません。農村が嫁不足に陥ったのも、農作業そのものが嫌というよりも、女性を、妻、母、主婦という枠の中に押さえ込んでしまい、一つの生き方が押しつけられる息苦しさが、大きな要因だったような気がします。
 地域のルールを守ることや近所付き合いを大切にすることと、自分らしさを大切にすることのバランスをとることは、頭で考えるほど簡単なことではないかもしれません。互いの自由な生き方を束縛しない「つながり」を築いていくことは、なかなか難しいことでしょう。それでも、いたわりあうのと、見張りあうのは違うわけで、適度な距離を置きながら助け合える、大人の人間関係を築いていくことができれば素敵ですよね。

歴史を変えるということ
 「当時チャルカ(糸車)は貧乏の象徴であって、非暴力の象徴ではありませんでした。・・・何世紀もの間貧困、無力、不正義、強制された労働の象徴であったチャルカを今、力強い非暴力の、新しい社会秩序と経済の象徴にしていこうとする仕事が我々の肩にかかっています。我々は歴史を変えねばなりません。」(SPEECH AT A. I. S. A. MEETING September 3, 1944)と、ガンジーは述べています。
 いくら手仕事がすばらしいと言っても、宮殿で着飾っている上流階級の女性のために、農村の女性たちが搾取労働に従事させられているのでは、それは不幸の象徴でしかありません。村落単位の自給自足と一体となった助け合いに裏打ちされてこそ、手仕事は素晴らしいものとなるのです。同様に私たちは全く新しい田舎を作っていくことが求められているのではないでしょうか? 
 「私は、自分の家のあらゆる側面を壁で囲み、窓をふさぎたいとは思いません。私はあらゆる国の文化が私の家にできるだけ自由に吹き込んできて欲しいと思います。しかし、それらのどれによっても私の足をすくわれることは、許しません。」(Young India : June 1, 1921)と、ガンジーは書いています。地域の共同体においても、窓を閉ざすのではなく、開かれた関係作りができると素敵でしょう。
 私は新潟県の中でもかなり西のほう、富山県寄りの上越市に住んでいます。ところがそこに住んでいる人でも、もっと県境寄りの町のことを取り上げて、「あそこは、方言も富山県に近く、純粋な新潟ではない」と言ったりします。「純粋」って何なのでしょうか?お国自慢はよいことですし、親兄弟、親族、地縁を大切にすることも素晴らしいことです。でもそれが行き過ぎて、あるものを純粋ではないと、排除するようになると問題ですね。「江戸っ子」という言葉にも、どこか排他的な響きを感じてしまうのは私だけでしょうか?
 人間というのは、ともすると、気心の知れた仲間だけで固まってしまいがちです。そして、異質なものを排除しがちなのです。しかし、ガンジーは次のように語ります。「私なら、酒に耽るものも手元に置き、彼にも仕事を与えます。そして面倒を見ながら、酒から遠ざかるように毎日やさしく諭すつもりです」(DISCUSSION WITH SHRIKRISHNADAS JAJU October 11, 1944)と。近所にアル中の人がいたら、関わらないでいようとするのが、多くの場合かもしれません。でも、ガンジーはそういう人にも仕事を、役割を与えたいというのです。
 では、自分がアル中の人と関われるかと問われると・・一人で全部背負い込むことになるのであれば、正直なところ躊躇してしまうでしょう。でも、助け合える仲間がいれば、できそうな気もします。新しく移り住んできた人たちや孤立しがちな人たちを排除しないで、ともに助け合える社会を少しずつでも作っていくことができれば、農的生き方を実践することにも弾みがつくことでしょう。希望を持って目指す社会を思い描きながら歩んでいけたらと思います。



No.31  2009年12月12日発行

ベーシック・インカムとは?
 ベーシック・インカムということをお聞きになったことがあるでしょうか? 機械化のこの時代に、全ての人に仕事を与えることはそもそも不可能だとわりきって、それでも、全ての人の生存権は守られなければならないのだから、ベーシック・インカム、最低限の収入は国家が保障すべきだという考えのようです。国家が一定額を全ての人に給付することを求めています。
 どうしてお金なのでしょうか? ガンジーは、全ての人に仕事を与えなければならないと主張して、行き過ぎた機械化に異議を唱えました。人を幸せにするのは、お金ではなく、仕事であるというのが、ガンジーの考えだったからです。
 ベーシック・インカムに賛同される方々は、仕事がしたくてもできない人々の立場を代弁されているようです。身体や心に病気を抱えた人々に、働けと言うのは酷であるからと考えて、彼らにも、生きられるだけの収入が保証されるべきだという、主張が展開されています。
 確かにその通りですが、この主張には、落とし穴があるのではないかと、私は危惧します。仕事とは、本来どうあるべきかという視点が欠けているような気がするのです。仕事を通して、人は成長できたり、仕事をすることで、身心が回復するということもあるのではないでしょうか? 障がいの有無や事情に考慮しながらも、できる仕事が与えられていくとよいと思うのです。
 ところが、今の社会では、仕事が本来の姿を失ってしまい、苦役となってしまっています。問題はここにあるのではないでしょうか? そして、仕事を苦役に変えてしまうのが、機械なのです。ガンジーはそれを見抜いていたから、機械化に反対しました。
 物づくりが機械の仕事になった結果、私たちからは作る喜びが奪われました。必要かどうかもわからない、大量に出来上がってくるものを、何とかして売りさばくことが人間に課せられた仕事となったのです。しかも、製造スピードは上る一方ですから、忙しさには拍車がかかるという、こういうからくりなのです。時代が進めば進むほど、仕事は、非人間化していくのです。過労死・鬱病・自殺が増えていくのも、当然の結果です。

遊び抜くために生まれた
 それでは、本来の仕事とは、どういうものであったらよいのでしょうか。私は、自分が幼かった頃に目にした職人達の仕事に、理想的な仕事の形があったような思いがします。私は地方の商店街で生まれました。靴や傘を直したり、印鑑を黙々と彫り続けるおじいさん達の姿が、幼い頃の思い出として残っています。そのおじいさんたちはみんな仕事に誇りを持っていましたから、物を大切にしないことには厳しかったです。「まだ履ける靴があるのに、新しい靴を買う必要はない」と言われたこともありますし、ふざけて傘の骨を折ってしまった時にも怒られました。そして、自分のペースで黙々と仕事を続けてこられました。「お客様は神様」と言われるようになってから、世の中がおかしくなってきたような気がします。お客様のどんなわがままなニーズにも応えていくのが仕事なのでしょうか? 24時間休みなく営業すべきなのでしょうか? 古いものは捨てさせて、どんどん新しい物を売るべきなのでしょうか? 私は、手仕事のゆったりとした時間の流れを取り戻すことができれば、仕事は自ずと本来の姿に戻っていくのではないかと思っています。
 仕事というのは、限りなく遊びの延長に近いものと私は考えるのです。そこには、損か得かという要素が入ってくる余地はありません。ただ、好きだから、やりたいから、もくもくと続けるのです。私が幼い頃周囲にいたおじいさん達も、そういう人たちでした。古いものは捨てさせて、修理するよりも新しいものを買ってもらったほうが、儲けは大きいでしょう。でも、それよりも、自分が売ったものが大切に使ってもらえることのほうに、喜びを感じている方々でした。そして、そういうことをやっても生活が成り立つゆとりがあったのです。それは、お金に頼る度合いが今より低かったからに違いありません。手作りの料理をいただき、衣類も破れたら繕う・・買うよりも作る文化がまだ残っていたのです。
 仕事よりもベーシックインカムを与えろという主張がなされる背景には、「働かざるもの食うべからず」的な考えはどこか教条主義的で、受け入れたくないという思いがあるのかもしれません。先日、『「食育」批判序説』(森本芳生著・明石書店)という本を読んでいたら、素敵な言葉に出会いました。「遊ばざるもの食うべからず」です。玄米菜食を説いた桜沢如一氏の言葉として紹介されてありました。「私たちが与えられた一生を遊び抜くために、…食事原則を打ち立てようとした」のではないかと、紹介してありました。
 遊び抜くために私たちは生まれたということに、今一度思いを馳せてみてもよいのではないでしょうか? 世の中にいろいろな遊びが存在したら楽しいでしょう。その中から自分の好きな遊びを選んで、とことんやっていく。達人になって、みんなから喜んでもらえたら、こんな楽しいことはありません。そうやってお互いに周囲に喜びを与え合いながら生きていくことができれば、生活も自ずと成り立っていくはずのものです。経営戦略など練らなくてもよいのです。生きる歓びを分かち合っていればよいのです。

糸通貨

 衣・食・住の必需品は、本来、大地の恵みに由来しています。育てた綿から綿織物ができます。住まいだって、裏山の木材を伐ってきてみんなで共同で家を建てた時代もそう古いことではありません。必需品というのは、賃金労働をして得たお金と交換でなければ得られないものではありません。大地から贈り物としていただけるものです。過疎化が進む農村にはその大地が余っています。農村移住が難しくても、綿を糸に紡ぐことは家の中でできます。そして衣類は必需品です。だからガンジーは糸紡ぎを大切にしたのです。糸を通貨と考えたら良いとまで言っています。実際、会議派の会費を糸で支払うことを要求しました。地域通貨の取り組みが各地にありますが、糸通貨というのも素敵な考え方かもしれません。糸銀行も作ったら面白いでしょう。糸を紡げば紡ぐほどお金持ち(糸持ち)になれるのですから、わくわくしないでしょうか? 糸と交換すれば、食べ物でも何でも手に入るようになれば、素敵ですよね。夢物語でしょうか?
 ガンジーはインド各地にアシュラム(共同生活の場)を作り、そこを運動の拠点にしました。そこでは農作業や糸紡ぎ・機織りなどの手仕事が行われ、自給自足の営みがなされていました。ガンジーは非協力運動を呼びかけ、イギリスに雇われ、支配の手先となってしまっている人たちに、そのような仕事を辞めるように訴えましたが、実際に仕事を辞めた人たちがアシュラムの指導者となっていきました。アシュラムがあったから、非協力運動を貫けたのです。逮捕されても、アシュラムに守られていたおかげで、妻子が路頭に迷うのではと心配する必要がありませんでした。
 企業に雇われて奴隷的な苦役に従事するのは辞めて、自分達のアシュラムを作っていったらよいのではないでしょうか。目に見える建物としてのアシュラムではなくても、協力し合える人間関係を築いていけたらと思うのです。都会には土地がなくても、農村で育ててもらった綿花を供給してもらって、それを糸や布にすることは家の中でできます。
 産直運動、提携米の運動など、素敵な運動がすでにありますが、これまでのところ都会の人々は賃金労働をしたお金で産直米や産直野菜を購入しています。賃金労働に従事しないとおいしい食べ物を手に入れられない仕組みになっていて、非協力が貫けない弱い立場に、自分達を縛り付けることになっていました。都会の人たちが分担して糸紡ぎ、機織り、仕立てなどに従事して、出来上がった衣類と交換に食べ物を分けていただくという関係が築けたら素敵ですね。
 衣類は今、安く手に入りますが、その背後には、綿栽培時の農薬、加工過程での低賃金長時間の搾取労働、工場での生産や運搬時のエネルギー消費など、いろいろな深刻な問題があります。日本の農村で育てた綿花を、日本の都会で手仕事によって衣類にしていき、その衣類と食べ物を交換していく。とても素敵な近未来だと思いますが、いかがでしょうか?このような社会が実現できれば、お金は要らなくなります。食べ物が欲しいと思ったら、糸を紡げばよいのですから。ベーシックインカムを要求しなくても大丈夫なのです。
 この近未来を思い描きながら、私は糸紡ぎの技術を少しでも多くの人に身につけてもらいたいと考えて、月に2回、糸紡ぎの講習会をしています。いろいろな人々が糸紡ぎに興味を持ってくださり、小さな変化はすでに起こっています。これが大きなうねりになっていくことを期待しています。あなたも一緒に糸紡ぎをしてみませんか?

 

No.30 2009年9月2日発行

 今年の夏は、夏らしい天気が少なかったですね。それでも、お盆明けしばらくは、晴天が続いてくれ、梅干を干すことができました。綿も今のところ順調に育ち、綿の花が咲いた後に、コットンボールができ始めました。また、藍も順調で、藍の生葉染も行うことができました。植物を生育させ、人間に必要な恵みを与えてくれる太陽の光と大地に感謝せずにはいられません。
 晴天も雨も植物の成長には必要です。どんな天気も、必要なものとして受け入れられたら素敵ですね。


見えないものに目を向けて  
 
 6月には風の強い日があって、綿が倒れ、茎が折れてしまったものも何本かあります。しかし、驚くべきことに、その折れたところから新しい芽を出してきました。藍染めをするために、藍も根元から刈りましたが、その根元から、新しい芽がたくさん出てきました。すごい生命力ですね。根っこの力というものを感じます。
 この生命力を目の当たりにしますと、「諦めないで」と、励まされているように感じます。例えば、平和問題の学習会を開催しても、思ったように人が集まらなかったり、環境問題もどこ吹く風で、まさに、根元からぽきっと折れてしまったような出来事に遭遇することがあるわけです。
 そのような時は、「目に見える部分だけでなく、見ることができない根に注目しなさい」と、植物は私たちに教えてくれているようです。「根元から折れてしまっても、根が残っている限り、新しい芽を出すことができるのですよ」と、植物は私に教えてくれました。しかも、植物の生命力と同じ命が私たちにも宿っているのですから、このことを忘れないようにしたいものです。
 ただし、いくら生命力のある植物でも、根ごと引き抜かれれば枯れてしまいます。だから、大切なのは根です。私たちは、目に見えることを一生懸命やりがちですが、根にこそ栄養をあげるべきですね。見た目や、人から注目されることに目が行きがちですが、もくもくと根を育てるべきなのでしょう。そう思ったら、綿を育てたり、糸を紡いだり、ガンジー全集を訳したり・・・など、一人でこつこつとやってきた作業が、今まで以上に楽しいことになりました。
 『ガンジー・自立の思想』(地湧社)を出版したのが、1999年ですから、私がこのような活動を始めてちょうど10年になります。「どれだけの成果を挙げることができたか?」と、問われれば、これといったものはありません。最近は大きなイベントもやっていませんし、細々と続けているだけです。自己満足に過ぎないかもしれません。それでも、糸紡ぎの講習会一つとっても、途切れないで続いているのですから、見た目の変化はなくても、根は伸びつつあると言えるのかも知れません。

広がりつつあるネットワーク
 6年前に新潟に引っ越してきました。知り合い一人いない中で、それまでライフワークにしてきた糸紡ぎやガンジー思想を伝えることを、どう継続していったらよいのだろうと悩みました。とりあえず、一人で糸を紡ぐことになっても構わないと覚悟をして、場所を借りて、糸紡ぎの講習会をやることにしました。地元のミニコミ誌に情報を載せたら、予想以上に人が集まりました。その後も、月に2回、定期的に講習会を開いています。数人規模の小さな集いですが、たった一人で糸を紡ぐ羽目に陥ったことはありません。
 過疎化が進む地方では、都会のように多くの人を集めたイベントを企画することには無理があります。しかし、数人の取り組みを続けることは可能ですし、数人規模であれば、一人でできるのです。そして、始めた時は一人だったとしても、仲間ができてきます。
 綿を育て始めたグループがあちこちに誕生しつつあることは、報道などで知ることができます。最近はそのような方々との素敵な出会いが与えられています。市外、県外からも糸紡ぎの講習に参加してくださる人が出始めています。じわじわと、いろいろな地域で、取り組みが始まっていくことは、単発のイベントで多くの人が集まる以上の変化を、この社会にもたらしていくのではないでしょうか。目にはっきりと見える変化ではないかもしれませんが、見えないところで根が張りつつあると、私は感じます。やがては、日本中を覆う根となっていくのではないでしょうか。何があっても根絶やしにはできない、丈夫な根に育ってほしいと願っています。
 今は、インターネットという便利な道具がありますから、そこに情報を載せておきさえすれば、興味のある人は、どこからでも来てくださいます。

道具の功罪
 インターネットって本当に便利だ道具ですね。最近、40枚ほどの翻訳を頼まれましたが、一人では無理だったのでネットを通じてお手伝いを募りました。いろいろな人が手を挙げてくれました。ニューヨーク在住の人や、スウェーデン在住の人までいます。一面識もなかった人と、遠く離れていてもこうやってつながっていけます。本当にすごい時代になったものです。
 ガンジーというと、機械に反対したことで知られています。しかし、全ての機械化に反対したわけではありません。今の時代にガンジーが生きていれば、ハリジャンという機関紙を毎週発行していた人ですから、やはりインターネットも上手に活用したのではないかと思われます。
 「道具を使用しても反対することはありません。ただし、それらの機械が他の人々を搾取するために使用されなければの話です」と、ガンジーは述べています。目を向けるべきは、道具や機械の使われ方なのです。そしてガンジーは、「手工業の道具の改良は歓迎しますが、動力で動く紡錘を導入して手仕事を駆逐するならば、多数の農民に家でできる代わりの仕事を与えられない限りそれは犯罪です」と主張して、糸車の復活にエネルギーを注ぎました。この真意をしっかりと理解して、糸紡ぎに取り組んでいきたいですね。インターネットという便利な道具にしても悪用されれば、犯罪に使われることにもなります。だから、正しく使う知恵を私たちは必要としています。

『ガンジーの教育論』
 そして、教育についても同様のことに注意を払う必要があります。ガンジーは教育について次のように語ります。「教育とは何でしょうか。文字が読めて書けることだけが教育となっています。それでは単なる道具です。道具であれば、上手に活用されることもあれば、悪用されることもあります。・・・・健全な人格を養うのに役に立つ教育のみ、本物の教育と言うことができます。今日の我々の学校教育制度がこのような成果を挙げていると本気で言える人はいないでしょう」と。そして、教育の弊害を正すために、独特の教育論を展開しています。
 ガンジーは1937年に『新しい基礎教育』を提唱し、教育に関する執筆、講演を精力的に行いました。私はガンジー全集より、それらを翻訳してきました。そしてこのたび出版する運びとなりました。
 『ガンジーの教育論』(ブイツーソリューション発行・星雲社発売・800円+税)が、今、印刷中で、9月中旬に出版予定です。書店を通しての注文もできますし、アマゾン等で購入もできます。あるいは直接私のところに申し込んでいただいても、大丈夫です。どうぞ手にとって読んでみてください。 

No.29 2009年4月12日発行

新潟の桜もほぼ満開になりました。
この冬は雪がほとんど降りませんでしたから、冬をあまり実感しないまま春になってしまいました。それでも、3月の終りになって雪が降ったりしましたので、もう厚手のコートをしまっても大丈夫な暖かい日の到来は嬉しいものです。柔らかい日差しの中で咲く桜の花を見ていると、さあ、活動を開始しようという気分になります。
そろそろ、堆肥を入れたり、種まきの準備をしなければいけません。

隣の芝は青い?
 「田舎の暮らしに新しい生き方があると感じています。ともすれば都会で仕事を探しがちですが、田んぼで稲を育てれば、ワーキングプアと呼ばれるほど長時間労働に従事しなくても、コンビニのゴミをあさらなくても、1年間美味しいご飯を食べることができます」と、前回の通信に書きましたが、それを読んでくださった方から、「田舎で農業をやろうにも、体力的にきつく大変な仕事ですよ」という反論が届きました。「農業がきつい」というのは全くその通りだと思います。
 最近でこそ、農業に関心を持つ若者が増えていて、小さな場所を借りて家庭菜園を始める人から、新規就農してしまう人まで様々いますが、それでも、農業は肉体的にきついのに、儲からないという考えが根強く残っているのも、事実です。ある人から面白い話を聞きました。農家に生まれ育った人は、農業だけは絶対やりたくないと思っている人が多いそうです。たとえ農薬まみれの野菜をスーパーで買うことになっても、農業をやるよりはましだと考えるそうです。それに対して、都会育ちで農業について何も知らない人が、やってみたいと思うようです。苦労を知らないから、怖いもの知らずで飛び込めるのかもしれません。農家出身者は都会でのデスクワークにあこがれ、都会でのサラリーマン生活を知っている人は、自然の中での暮らしにあこがれる。隣の芝は青いということでしょうか。
 近代農業は、もはや自給型の農的営みではなく、産業の一部として組み込まれた農業になってしまっています。キャベツならキャベツだけ、イチゴならイチゴだけを育てて、それを売って得たお金で他の野菜や米を買って食べている農家も存在します。いろいろな作物を育てている農家であったとしても、私たちの命を養ってくれる作物を育てているという感覚よりも、田んぼや畑で商品を作っているという感覚に染まっています。だから、高く売るためには、農薬を撒いて虫食いを減らして付加価値を高めます。除草剤や農薬に頼れば、その分きつい労働からも解放されます。労働時間が短縮できた分だけ、農作業一時間あたりの収入が増える計算になります。人力で草取りをする時間や労賃と、除草剤代を天秤にかければ、除草剤を使ったほうが得だと頭を働かせるわけです。
 そういう近代農業を見て育った農家の子どもたちは、田んぼや畑から生き物が急速に姿を消していったことを知っています。その場所がもはや、子どもたちにとって安全な遊び場ではないことも知っています。
 ですから、農家の子どもたちが農業を継ぎたくないと思ってしまうのも、ある面では当然の成り行きでした。農業が命を育む営みではなく、作物という商品を作って販売するだけの仕事でしかないのであれば、農産物の価格が低迷している上に、天候によっては収入は安定しないし、暑い日中も外で働かないといけない農業に魅力を感じることは難しいでしょう。
 しかも、古いしきたりが残る農村では、女性の立場は弱く、農家に嫁げば、家事・育児に加えて農作業を引き受けねばなりません。とりわけ、兼業農家では、留守を守る嫁に過重の負担がかかりがちでした。ですから、農家の嫁不足が深刻化するのも当然の成り行きでした。
 このような要因から、農業は大変だという考えが根強いわけです。

日本がもう一度よみがえるために
 しかし、命を育む、自給的農業を目指すのであれば、ここであげたような、負の要因も取り除かれるのではないでしょうか。農薬や除草剤に頼らないで、安全なものを作ろうとすれば、ますます、肉体的には大変ではないかと思われるかもしれません。しかし、自分たちが食べる分だけを作るということを基本にすれば、それほど広大な面積を耕す必要があるわけではありません。もちろん、肉体労働にそれなりのきつさはあるでしょうが、家族みんなで協力し合って、おいしい米や野菜という収穫を得るのであれば、心地よい疲労をもたらしてくれるのではないかと思います。
 各家庭で料理をして食べるように(最近は、これも相当崩れていはいますが・・・)、各家庭が家の近くで作物を育てて、料理をして食べる、それが当たり前となっていけば、就職できなくても、少なくとも、食べることだけは確保できるのではないでしょうか。働いても、働いても楽にならないワーキングプア状態にあるのであれば、農的生き方も選択肢のひとつになるのではないでしょうか。
 すぐに完璧なことはできなくても、こういう方向に向けて一歩踏み出していくことは、できることでありますし、やらねばならないことだと、私は思います。無理をする必要はありません。自分の体力に合わせて、できる範囲で、やっていったらよいと思うのです。
 過疎化する農村には、耕作放棄地があふれていますし、空き家もあります。都会の失業者を生活保護で救うことも大切ですが、彼らに空き家を提供し、農村に入ってもらって、できる範囲で自分が食べる物を生産してもらうという、救済策もありかなと思います。それで足りない分を、生活保護として支給するようにすれば、一人当たりの支給額を減らすことができ、これまでよりも多くの人を救うことができると思うのです。
 そうすれば、過疎化する農村も、若い人が増えて活気づくでしょうし、田畑が荒れていくのも防ぐことができ、自給率も向上します。こんなによいことはないと思うのですが、いかがでしょうか。
 閉鎖的な農村社会が、都会からの見知らぬ若者を受け入れられるか?という問題もありますが、これまで地方からの若者を都会が受け入れてきたように、今度は地方が都会からの若者を受け入れる番だと思います。それができれば、日本はもう一度よみがえることができるのではないかと思います。

村にこそ未来はある
 ガンジーは、インドは70万の村で成り立っている国だと語りました。「各村々が、独立インドの神経中枢となるであろう。その時には、インドはボンベイ、カルカッタのような都市によって知られるのではなく、70万の村々に住む4億の人々(当時のインドの人口)によって知られるようになる」と、ガンジーは書いています。
 私たちは、田舎には何もなく、都会に全てがあると思い込んできました。日本は加工貿易によって栄えている国だと習いました。そして、原料を輸入して、工業製品を輸出して外貨を稼ぎ、そのお金で農産物を輸入するという仕組みでこれまでやってきました。しかし、工業製品は、食べ物と違って毎日必要なものではありません。行きわたってしまえば売れなくなります。日本から工業製品を輸入していた国も、自国で生産できるようになれば、日本から買ってくれなくなります。日本より安い労賃で生産できる国があれば、工場もそのような国に移転してしまいます。その結果、都会にあったはずの仕事場が消失してしまったのです。
 つまり、加工貿易で成り立っていた日本の仕組みというのは、決して持続的な仕組みではなかったのです。いつかは行き詰るものでした。そして、今、その行き詰まりの時を迎えています。石油を掘りつくしてしまえば、遠い距離を運ぶ貿易も不可能となるでしょう。そうなれば、身近な所で取れる物を食べるしかありません。農地のある田舎こそ、これからの日本人が生きていく場所とならねばなりません。それが必然なのです。都会に仕事がなくなってしまったこの危機を、チャンスととらえて、田舎暮らしをはじめてみてはいかがでしょうか。あるいは、この春、プランターにでもよいから、種を蒔くということから、はじめてみるのも良いかもしれません。

5月の連休のころが、綿の種を蒔く時期です。和綿の種をお分けしています。



No.28 2008年12月20日発行

  今年も残り少なくなりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。綿を例年より多めに収穫することができました。糸にしていく作業が楽しみです。畑が雪に埋まる冬は、夏に藍染めした糸で機織りを楽しみたいと思っています。(綿の種、藍の種ご希望の方にお分けしています)

変化になれ!
 今年のアメリカ大統領選挙では、changeを合言葉にしたオバマ氏が当選しました。10月2日のガンジーの誕生日にガンジー財団に寄せたオバマ氏のメッセージによれば、"Be the Chage!"というガンジーの言葉に、彼自身が感銘を受けたのだそうです。「世界に変化をもたらしたければ、自らがその変化になれ」というガンジーのこの言葉、私も大好きです。
 オバマ氏がこれからどんな変化をもたらしていくのかは未知数です。ヒラリー・クリントン氏を国務長官に抜擢したり、本当に変化が起こるのだろうかと、疑問を感じることもあります。しかし、重要なことは、ガンジーが言うように「自らが変化になる」ということです。オバマ氏に期待して、人任せにするのであれば、変化が起こるわけはありません。
 「ガンジーの主張する非暴力が本当に実践可能だろうか」とか、「この機械の時代にあって、糸を紡ぐことにどれほどの効果があるだろうか」という疑問が投げかけられます。やってみなければわからないというのが、その答えでしょう。だからガンジーは「変化になれ」と言ったのです。世界を揺るがすような大きなことがすぐにできるわけではありません。しかし、小さな変化を積み重ねていくときに、それが大きなうねりとなっていくのではないでしょうか。だから、「つぶやく暇があったら、行動を開始しなさい」とガンジーは言います。そして、「小さなことを大切に」と付け加えるのです。
 「変化になれ」というガンジーの言葉に出会ったときに、「自分にとっての変化とは何だろうか」と考えました。ちょうど同じ頃、「何になるかよりも、どんな○○になるかが問われている」という話をあるところで聞きました。その当時私は、ある翻訳会社に登録して仕事をもらっていました。預金残高が増えていくことを単純に喜んでいましたが、自分が翻訳家であるということよりも、どんな翻訳をするのかが問われているのではないか? 本当に人の役に立つこと、人類の幸福につながるような翻訳をすべきではないかと、感じるようになりました。それで私は、ガンジーが書いたものを訳していくことに時間を割けるように、少しずつ仕事を整理していきました。以来、預金残高は増えなくなりましたが、私はこれでよかったと思っています。ひとつには、綿を育て、紡ぎ、織る時間をとれるようになったからであり、もうひとつは子ども達との時間を持てるようになったからです。

建物としての家よりも家庭を
 いまの子どもたちは環境を破壊し、借金を積み上げてきた大人世代に対して苛立ちを感じている世代ですから、いろいろな思いをぶつけてきます。「お母さんたちはバブルも楽しめて、安いガソリンで車も乗り回せて、いい時代だったよね」と言われると、ガソリンの値上がりを私のせいにしないでよ、と言いたくもなりますが、このような時代を招いた大人世代の一人として、若い子ども達にどう向き合うかが問われていると思うのです。悪いことを他者のせいにして他者を責めるだけで終わらないで、より良い世の中を作っていく主体者に自分自身がなっていくこと、それが生きるということではないかと、それこそがガンジーが言うBe the Change!(変化になれ)ということではないかと、子どもたちと一緒に考えていきたいのです。
 そのためには子どもたちがいろいろな思いをぶつけてきた時に、それを受けとめられるだけの心と時間のゆとりが必要です。そういうわけで仕事を減らしたのですが、思いがけない発見もありました。糸を紡いだり、機織りをしたり、編み物をしながらであれば、子どもとの対話がとても楽しいものとなったのです。翻訳の仕事をしていれば、「頼むから邪魔をしないでくれ」となってしまいますが・・・・・・「糸を紡いで、機織りをして作品を仕上げるのにどれだけの時間がかかりますか」とよく聞かれますが、手仕事と一家団欒は同時進行が可能なのです。だから、手仕事に時間がかかっても、余分な時間を捻出しなければならないというわけでもないのです。
 ただし、長男も4月からは大学生、その2年後には次男も大学に行くでしょう。2人分の仕送りが必要になれば、好きなことばかりやってもいられないかもしれませんが、できる間は、畑や糸紡ぎ、ガンジーの著作の翻訳に力を注いでいきたいと考えています。それが私にとってのchangeだからです。簡素な生き方を選択していけば、結構好きなことだけをやっていても生きていけるものだなと、私は実感しています。
 ガンジーの「自立の思想」というのは、お金や今の経済の仕組みから距離を置いて、自立した生活を築いていくことを言います。お金に頼らないのはなかなか難しいのですが、そういう方向で変化していくことは可能だと思います。我が家の場合、子どもたちが中学生になる頃には一戸建てに住みたいなと考えていました。ところが、たまたまその時期に雪国に転勤してしまったので、雪かきが大変な一戸建てはやめて、集合住宅でがまんすることにしました。単に横着だっただけの話なのですが、そのおかげで、好きなことを追求する金銭的ゆとりが持てたのも事実です。子供たちに部屋を取られ、自分自身の仕事部屋を持つことができず、子どもの部屋の片隅でパソコンに向かっていると、英語の宿題を手伝わされたりで、自分の仕事の能率は落ちてしまいましたが、子どもとの濃密な時間を持つことができました。そして、子どもが巣立とうとする時期を迎え、自分の家を持ちたいという気持ちがしぼんでいっています。

簡素な田舎暮らしを目指して
 ガンジーは、「今日我々が文明として理解しているものと、至福の状態、もっとも望ましい状態と私が思い描いて見せる状態との間に隔たりがあるのです。一方では、文化、文明の基礎はあらゆる欲望を拡大していくことと理解されています。部屋を1つ所有すれば、もう1部屋欲しくなり、さらにもう1部屋と多ければ多いほど楽しいということになります。同様に、家に入るだけのより多くの家具が欲しくなります。そしてこのようなことは際限なく続いていきます。そして、所有物が多ければ多いほど、文化が豊かなことを示しているなどと考えられているのです。
 他方では、所有物を減らせば減らすほど、欲求も減り、人格者となっていけるのです。何のための人格者かと言えば、この世でおもしろおかしく暮らすためではなく、仲間のために個人的に奉仕することを喜ぶためです。身体も心も魂も含めて自分自身を捧げる奉仕のためです」と、語ります。
 どうも、子どもには専用の勉強部屋が必要だとか、ウサギ小屋を卒業して大きな家を持てるようにならなければならないとか、洗脳されていたなと感じるのです。家を建てる人が減れば経済は成長しなくなるかもしれませんが、経済が成長しないと成り立たない仕組みは、もうすでに破綻しているのではないでしょうか。経済危機のために失業状態で年の瀬を迎える方々も多くいらっしゃるでしょうが、小手先の対策ではどうにもならない所まで来ていると思います。全く新しい社会をつくらねばなりません。
 私は田舎の暮らしに新しい生き方があると感じています。ともすれば都会で仕事を探しがちですが、田んぼで稲を育てれば、ワーキングプアと呼ばれるほど長時間労働に従事しなくても、コンビニのゴミをあさらなくても、1年間美味しいご飯を食べることができます。都会から田舎に向かう人の流れができてくればいいなと私は思います。
 ガンジーは南アフリカ時代にはトルストイ農園やフェニックス農園、インド時代にはアーメダバードやワルダにアシュラムを作って、自給自足型の共同生活を営んでいました。このおかげで不服従運動で投獄されても妻子たちが路頭に迷うことがなく、不服従運動に専念できたのです。自給自足型のコミュニティーが、最強の防衛であると私は感じます。
 そういう方向での取り組みをできることから始めていくことが、経済危機のこの時代に最も求められていることのような気がします。残念ながら転勤族の我が家は自分の田んぼを持つことができませんが、小さな場所を借りて綿を育てることならできます。だからせめて、衣類に関する自給的生き方を追求していくことで、不十分ながらも新しい生き方のモデルを示せたらと思うのです。畑に種をまいただけで、お金をかけなくても着る物が出来上がってしまうのですから、感動します。もちろん、それなりの労働は必要ですが、一つ一つが善き思い出となり、思い入れのある衣類となっていくのです。
 それと並行して、ガンジーの非暴力の思想も紹介していきたいのです。子ども達が読む漫画にも暴力が蔓延しています。まるで暴力にしか解決法がないかのようです。これでは、通り魔的な事件が増えるのも無理ありません。だからこそ、別の道を示したいと思うのです。
 私にできることは、小さなことに過ぎません。ですから、これを読んでくださっている皆さんにお願いしたいのです。それぞれが小さな変化を起こしていきませんかと。Be the change!(変化になれ)



No.27 2008年8月2日発行

  夏本番です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
 綿に花が咲き、藍も大きく育ちました。藍の生葉染めの適期は8月上旬まで。本当は7月から染めることができ、7月に根元から刈っても、8月までにはまた大きく育っているので、2番刈りでも染めることができます。でも、私の場合は、糸紡ぎが間に合わず、8月になってやっと1度だけ染めることができる始末です。
 今年新潟地方は、例年より早く梅雨明け宣言がなされました。本来なら梅雨明けの頃には梅を干せる準備をしていないといけないのに、梅雨明け宣言を聞いて、慌てて紫蘇を畑から刈って来て、梅につけました。梅雨が明けてから雨やくもりの日が多く、梅が干せないまま8月になってしまいました。
 藍染めにしても、梅にしても、その時期でないとできないことがあります。いつもいつも追われてしまっていますが、「段取り8分仕事2分」という言葉もありますから、前もって準備を整えていられるようになりたいものです。
 まだまだ課題山積みの私ですが、季節ごとにやるべき仕事を与えてくれる自然は、うまくしたものだなと思います。藍に花が咲くようになると、染めても良い色が出ません。だから、それまでにせっせと糸を紡ぐことになります。こういう締め切りがなかったら、なかなか糸紡ぎの時間をとることもできないでしょう。人に寿命があるのも、良いことかもしれません。元気な間に精一杯のことをしようと思いますから。

不便が恵み 
 ある面からは都合の悪いことが、実はとてもありがたいことなのだと、気づかされることは多々あります。1991年の夏から秋を、フィリピンで過ごしましたが、電力事情があまり良くありませんでした。頻繁に停電していたのです。ロウソクを灯して夕食をとったことも何度もあります。今から思えば、キャンドルナイトでした。キャンドルナイトもたまになら、ロマンチックな気分に浸れるでしょうけど、あまり頻繁だと持て余してしまいます。ロウソクの明りでは、読書をしても目が疲れるだけです。仕方がないので、そんな日は諦めてさっさと寝ていました。私は典型的な夜型人間で、低血圧だから朝早く起きることは絶対に無理だと思っていました。でも、このような事情で、8時ごろに寝る日が続けば、いやでも5時前には目が覚めます。朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むととても気持ちがいいです。早朝というのは、何か特別な時間のような気がします。そして、朝食前に一仕事をするという習慣が身につくと、眠い目をこすりながら夜中に頑張るよりも、はるかに能率よくいろいろなことをすることができました。そして、1日が長くなったように感じるのです。
 停電のおかげで、明るい光を差しかけてくれる太陽のありがたみがわかりました。低血圧は相変わらずですが、いつの間にか、朝早く起きることが苦痛でなくなっていました。太陽のリズムに合わせて暮らすことが、人間の身体にとって、一番負担をかけないリズムなのだと身をもって体験することができたのです。
 フィリピンでの体験がなければ、相変わらず夜型の生活をして体調不良に悩んでいたかもしれません。日本にいれば夜中でも真昼のように明るくして、活動することができます。それは文明が進歩した証として、一見すばらしいことのようにも思えますが、人間の健康にとってよくないだけでなく、電気を大量に消費して、地球にも負担を与えています。夜は停電するくらいでちょうどよいのかもしれません。

貴重な暗闇体験
 我が家は集合住宅の2階。窓のすぐ前に街灯があります。だから、電気を消しても、部屋の中まで明るいのです。最近は慣れましたが、引っ越した当初は夜寝るとき、明るすぎてなかなか寝付けませんでした。街灯は防犯上必要なのかもしれませんが、街灯もない真っ暗闇というのも、また良いものだと私は思います。
 岡山県の新庄村というところに友人がいるのですが、あるときそこでキャンプをしたことがあります。周囲に明りが一切ないところでしたので、夜になると、窓の外は漆黒の闇です。外に出て懐中電灯の灯を消すと一生懸命目を開いているのに、何も見ることができませんでした。風でかさかさと揺れる草の音。普段なら全く気づかないようなかすかな音に耳をそばだてていました。そして、一生懸命探ろうとするのですが、自分の周囲の様子が全くわからない不安で一杯になりました。隣の人と手をつないでいなければ、私はそこにいることができなかったでしょう。仲間がいることのありがたみと、人間というのは本当に小さな存在なのだということが、身にしみました。空に目を転じれば、普段目にするよりもはるかにたくさんの星が瞬いていました。この広大な宇宙の小さな点に過ぎない地球で、今こうして自分が仲間とともに生かされていることが、奇跡のように思えてきました。本当にケシ粒のような存在の自分が大自然に守られて生かされているのだということが実感できました。
 自然を破壊したくないと私が思う原点はここにあります。環境を守ろうという言葉すらおこがましいように、私には感じられます。なぜなら、人間が環境を守るのではなく、環境によって人間が守られているのですから。人間は、この大自然に感謝することしかできないはずです。本当に感謝だなと思うから、大切にしたいのです。

了解し合える関係を目指して
 真っ暗闇の中でみんなで輪になって手をつないでいると、そこに仲間がいるというその存在自体が、とてもありがたいことに感じられました。その人がどんな人かということよりも、そこに人がいる、自分はひとりではないということが、これほど、私を力づけてくれることだったとは、大きな発見でした。
 ところが、今私たちは文明の利器に囲まれすぎて、この大切なことがわからなくなっているような気がします。クレーマーが増えているとか、モンスターペアレンツが話題になったりしますが、同じ時代にこの同じ地球上で生を得て出会えたということだけでも、大変な奇跡だという認識があれば、もう少し互いにいたわりあえるのではないでしょうか。
 ある年の同窓会では、2時間以上も駅で友人を待たせてしまった人がいました。牛の出産が始まって、どうにもならなくなったということでした。当時は携帯電話も普及していませんでしたから、連絡のしようもなくて・・・この話を聞いたとき、待たせたほうも待たせたほうだし、待ったほうも待ったほうだ(1時間に一本も列車が来ない小さな駅では、待つ以外に選択肢はなかったでしょうが・・・)と驚きあきれてしまいましたが、牛の出産なら仕方がないよね、というのが多くの人の反応でした。
 今の時代に、このようなことが起きれば友情は決裂するかもしれませんね。どんな理由があろうと、約束の時間に遅れることは許されないというのが、現代の規範になってしまっていますから。どんなに厳しい納期であろうと、ノルマであろうと達成が求められています。これでは、仕事がずさんになるのを防げないでしょう。病気でも休めない、休んだら失業が待っているとしたら、何という息苦しい世の中でしょうか。メールにはすぐに返事を出さないと友情が壊れるとなれば、携帯も不便なものだと思います。
 もちろん朝寝坊して約束の時間に遅れるのは論外ですが、牛の出産など、のっぴきならない事情であれば、お互いに了解し合える、そういう人間関係を私たちは取り戻す必要があると思います。安く、速く、効率よくを人間に求め過ぎないで、疲れたら休むことを認め合いながら、仲間と協力し合って良い仕事をしていく、そういう社会を取り戻したいものです。
 「インドの救済は、インドが過去50年間に学んだことを忘れてしまうことにある。・・。5000年も昔の粗末な犂は、今日農夫が用いている犂である。救いは実にそこにある」と、ガンジーは約100年前に書いています。
 9条世界会議で、ピースウォークに参加した人は、「文明とは、電灯がつくことではない。飛行機が飛ぶことでもない。文明とは人を殺さぬこと。物を壊さぬこと」と語っていました。

結局私たちは、いわゆる近代機械文明から少し距離をおく必要がありそうです。




No.26 2008年4月12日発行    
        
 今年も種蒔きの季節が巡ってきました。今年は雪解けが早かったので、早々にジャガイモを植え付けることができました。山菜がおいしい季節でもあります。ふきのとうなどの苦味成分には抗酸化作用があって、雪の紫外線を浴びた身体を修復してくれるとか。自然はうまくできています。

月は誰のもの?
 ところでみなさんは月の土地が1エーカー(1200坪)当たり2700円で売りに出されているのを御存知でしょうか。「宇宙条約では、国家が天体を所有することは禁止しているが、個人が所有してはならないということは言及されていなかった。この盲点をついて合法的に月を販売しようと考えたデニス・ホープ氏は、1980年にサンフランシスコの行政機関に出頭し、(月の)所有権の申し立てを行ったところ、正式にこの申し立ては受理されました。・・・ルナ・エンバシー社を設立し、月の土地を販売し、権利書を発行するという地球圏外の不動産業を開始しました」とホームページにあります。
 誕生日や記念日のプレゼントとして購入する人が多いとか、結構人気を集めているようです。それでも、月が1番最初に所有権を申し立てた人のものになるなんて、植民地時代の発想がいまだに生き残っているのには驚きました。月はみんなのもの、だから個人の所有物にしてはいけないと、私は思うのです。古より、世界中の人がいろいろな思いで月を眺め、月に多くの思いを託してきました。百人一首の中にも、阿倍仲麻呂の「三笠の山にいでし月かも」をはじめ、「月見れば千々にものこそかなしけれ」、「月やはものをおもわする」、「有明の月を待出でつるかな」、「かたぶくまでの月を見しかな」、「恋しかるべき夜半の月かな」、「もれいづる月の影のさやけさ」、「ただ有明の月ぞ残れる」、などなど、月を詠み込んだものが多数あります。
 月だけでなく、本来はこの地球だってみんなのものであるはずです。人間が勝手に線を引いて、ここまでは自分の領土だと主張して喧嘩をしているのですから、愚かなものです。空の鳥だって自由に移動するのに、人間だけはパスポートが必要です。
 私たちは大地の恵みをいただいて生きています。この大地が与えてくれるものをみんなで分かち合ったらよいのに、お金がないと手に入らない仕組みになっています。鳥は木の実を自由についばんでいるというのに、お金がなかったら人間は飢えるしかないのです。そのため、とにかくお金を稼ぐことだと、あくせくと働くように私たちは仕向けられていきます。そして、今あるお金もいつか失うかもしれないと不安を抱いているのです。その結果、私たちは貪欲になるべくしてなっているわけです。

経済の仕組みとガンジーの教育観
 分かち合えばと思っても、子どもの教育費は掛かりますし、住宅ローンだって重い負担だから、とりあえず自分の財産をとなってしまいますよね。住宅については、田舎暮らしを選択したり、賃貸でよいと割りきれば、ある程度は出費も抑えられるでしょうが、そもそも、数十年で建替えを余儀なくされる最近の住宅に問題ありだとも言えます。昔の家は百年もって、あたりまえでした。そのくらいしっかりしたものを作ることが職人達の誇りであったわけです。ところが、それでは仕事が増えません、経済が成長しませんから、30年で壊れるような家を建てるようになったのだと思われます。だから、同じ大工仕事をしていても、仕事のやりがいは大きく失われたと思います。これは、経済成長を求める今の経済の仕組みがもたらしたことです。道路も同じです。毎年仕事が確保できるように、一年たったら壊れるように補修をするのです。原発なども同じなのです。電気は余っているから柏崎の原発を廃炉にしても大丈夫だという主張がありましたが、そんなことは百も承知で、でも、仕事がなくなると困るから廃炉にしてもらっては困るという人が多くいるのです。足りないわけではない電気を生み出すのに、危険な仕事をすることにやりがいを感じることができるでしょうか。「飯の種」だと割りきるしかありません。そうやって、人は人間性を失って、ロボットや機械のようになって行くのではないでしょうか。
 教育費の問題についても、多額の費用を費やす価値があるのか、再吟味が必要ではないでしょうか。現在、学校で行われている教育は、本来のあるべき教育から大きく隔たっていないでしょうか。ガンジーは、経済に奉仕する奴隷を養成する教育が行われていると、批判しています。
 「教育とは本当は何かということが人々にさっぱりわかっていないところに、実際の難しさがあります。土地の価格や証券取引所での株式の価格を評価するのと同じようなやり方で、我々は教育の価値を評価します。生徒がより多く稼げるようになれるそういう教育だけを提供したいと我々は思っています。教育を受ける側の人格を高めることなど、まずほとんど気に留めることすらありません」
 「インドの学校には、いろいろな職業カーストに所属する少年たちがいます。例えば、煉瓦工、鍛冶屋、大工、仕立て屋、靴屋などです。しかし、教育を受けたら、自分たちがこれまでやってきた仕事の技術を高め、自らの仕事にさらに励んでいくのではなく、そのような仕事は何か劣っていることとしてやめてしまうのです。そして、事務職に就くことが名誉なことと考えるのです。両親も、このような誤った考えを共有しています。このようにして、私たちはより深刻な奴隷状態に陥りつつあるのです」
 「大学を卒業して職に就けないでいる若者は、あちこちさ迷い歩くしかありません。・・両親は、まず教育にお金をつぎ込み、そして今度は若者たちが失業中であっても、彼らの「地位」を保つために再び大金をつぎ込むことになります。・・・一握りの英国人がこんなに長い年月にわたって我々を奴隷状態にしておけたのは、どうしてだったのでしょうか。ひとつには、事務職員しか養成できないような教育制度を導入したことにあります」
 「大学で医師や技師が養成されましたが、実は、忠実な奴隷に過ぎませんでした」
 そして、ガンジーは肉体労働を蔑視する教育が行われていることが一番の問題だと、主張するのです。定年退職した夫が毎日家にいて大変だというぼやきを、奥さん方から聞くことがありますが、家事一つ満足にできない旦那さんというのが、間違った教育の産物かもしれません。

奴隷から人間へ
 家事や肉体労働を低く見る価値観のために、大学に行ってサラリーマンやOLになる道を大半の人が選択してきました。しかし、今やサラリーマン消滅の時代です。若者が長々と教育を受け社会に出てみるとやるべき仕事がなく、あっても小学校4年生程度の能力があれば誰でもできる仕事しかないというのが、現状です。教育を受けたにもかかわらず、手に何の技術もないから、使い捨ての労働とわかっていても、他者を蹴落としてでもそういう仕事にあるつくしかないのです。原発関連の仕事でも、無いよりはましとなってしまいます。さらに、自分たちよりも少しでも有利な立場にいる人に攻撃の鉾先が向きます。郵政民営化も、公務員叩きもその延長線にあります。そうやって、庶民が互いに足の引っ張りあいをしてくれれば、それだけ一握りのエリートの立場は安泰となるのです。『分割して統治せよ』の植民地支配のルールがこんなところにも生きています。
 自分たちに自信が持てないから、他者を攻撃することで一時的な癒しを得ているのでしょう。ガンジーは奴隷から人間に立ち返る手段として、手工芸を通した教育を提唱しました。例えば、糸を紡ぎながら、必要な糸の本数を計算することで算数を学んだり、綿の育て方や土壌についての知識を得たり、糸紡ぎや機織りが辿ってきた歴史を振り返ることで、英国によるインド支配の歴史を学ぶのです。さらに、糸車の構造や扱い方の授業を通して、科学的知識も得られます。このようにして学んだことこそが、本物の知識で深く根付くというのがガンジーの考え方でした。そして、一人前の職人として、学校を卒業することができれば、就職の心配をする必要もありません。「教育を与えると同時に、失業の根を立ち切るのです」と、ガンジーは述べています。ガンジーは優れた道具である我々の手足を最大限活用すればよいと、主張します。過去の職人達の仕事を見ても、人間の手が優れたものを生み出してきたことがわかります。そして、手で作ったものは、手で直すことができます。この手を活用して本物を作って、交換して生きていくことができれば、雇ってくれるところがなくても、自立して生きていけるのではないでしょうか? それには、肉体労働は劣っているという価値観を見なおしさえすればよいのです。
 そして、雇われ仕事を少しずつ減らして、できる範囲で自給的農業や手仕事を始めたらよいでしょう。かつて専業農家から兼業農家へと農業の形態が変化しましたが、これは、肉体労働を厭い、農業に機械を導入し、浮いた時間で勤めに出て、より儲かるオフィスワークに従事したということです。結果、雇用主に従属した立場になりました。私たちが目指すべきは、手に職を持つことであり、肉体労働こそ、人間を自由にする本来の生き方であることを確信して、賃金労働を減らして、手足を使った自給的生き方をとり入れることです。
 そして、最終的には、本当に自分のやりたいことだけをやって自由に生きたらよいと思いますし、それは可能なはずです。鳥のように生きたらよいのです。そこにある物を感謝していただくだけです。本当に自由です。でもそうしながらも、鳥の糞が大地の栄養になっていきますし、種を運ぶ働きをすることもあります。自由に生きながら、使命はちゃんと果たしているのです。所有などという概念が入ってくる余地もありません。所有という考えも、教育による洗脳に過ぎません。
 「教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものに他ならない。人は真に徳のある人間として教育されるのではなく、ただ、きまりに外れないよう振舞うことを教えらえるだけなのである」(『茶の本』・岡倉天心)



No.25  2007年12月9日発行

   今年もなんとか無事に綿を収穫できました。自然の恵みに感謝です。

不都合なのはどっち?
 『不都合な真実』を書いたアル・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞されました。行きつけの本屋さんでは『不都合な真実』と『環境問題はなぜウソがまかり通るのか・1と2』(武田邦彦著・洋泉社)とが、並んで平積みにされています。どちらもよく売れているみたいです。
 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の武田氏は、温暖化による海水面の上昇はたいしたことがないと書いています。たしかにアルキメデスの原理から北極の氷が融けても海水面は上昇しません。しかし、「氷が融けずに固まりごと滑り落ち、大量の“氷”が“一度に”海水中に沈むと大きな被害が出る」と書かれていますから、やはり温暖化は大変なことでしょう。また、台風の大型化や、旱魃や洪水などの異常気象が温暖化によってひきおこされているとすれば、たいしたことがないという武田氏の書き方には問題があると思います。
 しかし、耳を傾けるべき指摘もあります。「BTX(ベンゼン、トルエン、キシレン)は化学原料やプラスチックに多く使われるが、いつも少し不足気味であった。それに対してレジ袋などにするエチレン、プロピレン、ブチレンなどは余り気味だった。・・・レジ袋は石油を精製すると自然にできる成分を有効に使用するから、もしレジ袋をなくし、もともと不足しがちなBXT成分を使って買い物袋をつくれば、石油全体の消費量を増やさなければならない」。さすが科学者、目の付け所が鋭いですね。「二酸化炭素の排出量を減らすために最も効果的な政策は、2000cc以上の自動車に高い税金をかけることであり、軽自動車の税金をゼロにすることであり、14インチより大きいテレビ、200リットルより大きな冷蔵庫に高い税金をかけることである」にも賛同します。
 最近の家電製品の大型化には目を見張るものがありますね。省エネ製品への買い換え需要を喚起しようと、いろいろな宣伝が繰り広げられていますが、エネルギー消費の削減ではなく大型化しても電気代は変わりませんよという方向に流れているのではないかと気になります。
 アル・ゴア氏の現状分析と、武田氏の解決法を採用すればよいのではないかなと、私は感じています。ゴア氏の現状分析は環境問題がせっぱ詰まったものであることを認識させてくれます。でも、ゴア氏の解決法は省エネ製品への買い替えなどビジネスに結びつけようという意図が濃く、本当に解決に向かうのかという点では、武田氏の方に軍配が上がると思うのです。
 私たちは、自分と異なる意見には耳を傾けたくないという意識が働きがちですが、このように真っ向から対立する書物の両方に目を通すことで、両方から光が当てられて物事が立体的に浮かび上がってくるということがあるのではないでしょうか?

キャンドルナイトが意味を持つためには?
 ところで武田氏は「電気を消して2000円節約して、その2000円でドライブに行くなら同じことです」などと書いて、電気を消すことにも消極的です。確かに、ドライブに行ったのでは意味がありませんね。私は夏至の日と冬至の日に2時間電気を消すキャンドルナイトがとても気に入っていて、毎回私なりのやり方で参加しています。この日は必ず家にいて家族と過ごすようにしています。電気を消すということよりも、家族と向き合うことがこの企画のメインテーマだと思うからです。子ども達は火遊びが大好きです。融けた蝋からまた新しい蝋燭を作ってみたり・・・危なくて目が離せないのですが、いろんな会話が弾みます。いかに日頃子どもと会話をしていないかに気づかされます。普段は一緒にテレビを見ていても、テレビから発せられる言葉を浴びているだけで、お互いが顔を合わせて語るという時間を奪われているのだなと感じます。本当は毎日こういう時間を持つことができたらいいのだけれど・・・せめて年に2日、私にとっては貴重な時間です。
 そして、思います。こういう濃密な時間を家族と過ごすのが自然になったとき、電気を消してもドライブに行こうなどとは思わなくなるのではないかと。ドライブよりももっと楽しい過ごし方を発見しているからです。

藍染展企画者との出会い
 江戸時代の着物を収集して藍染め展を開催された方に、先日お目にかかる機会がありました。一つとして同じ模様がないコレクションの数々・・・「名声を求めるわけでもなく、ただただ良い仕事を残した名もない職人達・・・彼らによって担われた地方の文化があった」というお話に感銘を受けました。祖母や母が機織りをする姿を見て育ったこの方は、貴重な布が捨てられ、燃やされていくことに心を痛めて、旅行にも、美容院にも行かず、外食もしないでためたお金で着物を収集すること40年。そして展覧会を開催されたのでした。まさに継続は力なりです。「あれもこれもやる必要はない。この分野のことならこの人に聞いたらよいと言ってもらえる人になることが肝心。その道のプロになることをめざして、もくもくと続けていれば、いつか必ず花開くときがある」という言葉に、深くうなずかされました。

ワークショップから講習会へ
 糸紡ぎのワークショップをやって、何人集まったとか、チャルカ(糸車)が何台売れたとかで、成功だったかどうかを考えがちだったのですが、間違っていたのではないかと最近感じています。チャルカを購入した人が糸紡ぎを続けているとは限らないからです。チャルカを作ってくださっているインドのガンジーアシュラムの方々のことを思えば、せっかく作っていただいたチャルカが利用されていないとすれば、とても申し訳ないですし、残念なことです。取り組み方の根本を改める必要を感じました。そして今は、5名限定で講習会をやっています。毎月同じ人を対象に講習して、独り立ちできたら新しい人を募るという形でやっていこうとしています。本当にやりたい人とじっくりと取り組めるのは私にとっても楽しいことです。
 講習会の時間を利用して、収穫した綿を持って来て、綿と種を分ける綿繰りをしていかれる人もいます。このように道具を共有することができれば、道具の値段が高いこともネックにはなりません。綿繰り機が必要なのは、収穫直後だけなのですから1台を譲り合って利用することができます。チャルカだって、自分専用のが欲しくなってから購入すれば、買ったのに使わないということにはならないでしょう。わずか数人の取り組みですが、確実に糸はたまっていきます。大きなイベントをやっても一過性で終わることが多いです。来られた方で本当に糸紡ぎを続けて、作品を仕上げる所までいく人は果たしているでしょうか。と、考えたときに、やるべきだったのはこういう小さくて確実な取り組みだったのだと気づかされます。しかも、数人が集まっておしゃべりをしながらの糸紡ぎは本当に楽しいものです。テレビを消して、糸紡ぎができれば、エネルギーの消費は減って、有用なものが生産できて一石二鳥ですね。

商売から生業へ
 糸紡ぎ講習会に興味をもたれる方の中には、「これで生計が成り立ちますか?」とか、「作品を売っていないのですか?」と質問される方もあります。作るまでの苦労を思えば売れないですよ。売るために作るという発想がそもそもおかしいのではないかと思います。ビジネスに携わろう、儲からなければ意味がないという考えに、私達は取り付かれすぎているような気がします。江戸時代の人々は、紺屋などの職人の手を借りていたにしても、基本的には村人達は自分の着るものは自分達で作っていました。昔の着物を見ますと、仕事着や野良着にも絣の模様が施され、本当におしゃれだったことがわかります。自分が使うものに贅を凝らしているのです。江戸時代の人々は、年貢を搾り取られていますから、いろいろな手工芸にも携わって現金収入を得る必要がありました。その結果、いろいろな特産品が発達し、文化が花開いたという側面はあります。しかし、身分差別のあった江戸時代から平等な時代になったのですから、特権階級の人々に貢ぐ必要はないのです。自分が使うものを自分で作るという手仕事の楽しみを思う存分味わったらよいのではないでしょうか。
 江戸時代の人々は、必要なものは自分たちの労働で手に入れていました。それが産業革命以来、必要な物はお金を出して買って来るという生活に変わっていきました。だから、何をするにもまずお金となってしまい、生計が成り立つか?とか、売れるか?ということが心配になってくるのではないでしょうか。でも、買わなくても自分で作れるというようになれば、売って現金を稼ぐ必要もありません。私達は本当に自由で歓びに満ちた生活が送られるようになるのではないでしょうか。もちろん江戸時代の人々に負けないくらいの働き者になる必要はあるでしょう。しかし、悲惨ではありません。「上流階級の女たちが結婚後月日がたつにつれて、自己を放棄した表情になってしまうのに対して、夫と肩を並べて働く農民の女の顔は、歳月と共に、自立と生活のよろこびに輝く」と明治初期に来日したアリス・ベーコンは記しているのです。本来働くことは楽しいことなのです。
 鬱になる人が増えていると聞きますが、それはベーコンが見た上流階級の女のように、消費するだけの依存した生活に、現代社会が産業革命の結果なってしまったからではないでしょうか。これからの時代は産業革命(Industrial Revolution)ではなく、勤勉革命(Industrious Revolution)が求められているような気がします。
 自然の恵みはふんだんにあります。我が家の小さな畑からも、毎日野菜が食卓にのぼります。耕して、紡いで織って、私達は自然に感謝しながら、仲間に感謝しながら生きていけばよいのではないでしょうか。その生活の延長線上に、環境問題の解決があるはずです。

No.24 2007年7月30日発行

 また新潟で地震が起こりました。被災された方のことを思うと心が痛みます。そして、今回は原発のことも心配です。茨城県に住んでいたときには臨界事故が起こり、新潟では地震。原発のない県に住みたいというのが本音です。でも、それは身勝手というものでしょう。原発に依存しない生活は、私たち一人一人の心がけで達成するものだと思うからです。

問題の原因はどこに?
 柏崎の原発は首都圏の電力の1割を供給しているから、閉鎖は無理だと言う人もいますが、地震発生以来東京で停電したという話は聞きません。猛暑になれば、工場やデパートなど大口ユーザーに節電をお願いするしかないと、新聞報道にはありましたが、それで対処できるのであれば、やはり必要ない施設だと思います。

 環境のことを考えても、電力消費が減るに越したことがないのだから、この際、すべての原発を止めて電力消費を3割削減したらよいと思います。火力発電所で補うのでは、二酸化炭素が増えてしまいますから。あくまでも消費を減らしましょう。不可能なことでしょうか?

 電力ではなく二酸化炭素排出量の話になりますが、2004年の日本の排出量は、1990年比7.4%増だそうです。これに対して、新潟県の排出量は同13.1%増です。郊外型店舗の進出、大型化によって商業施設などの民政業務部門からの排出が基準年比41%増、運輸部門27%増となっています。新潟県内の乗用車保有台数は1.5倍に増えています。交通手段をマイカーに頼り、郊外の大型店で買い物を楽しむという新潟のライフスタイルが、不況にも関わらず、温室効果ガス排出に拍車をかけています。(以上、新潟日報2007年7月21日の記事より)

 このことだけで新潟の人を批判しないで下さいね。エネルギー消費の少なかった田舎が、都会並になりつつあるというだけのことですから。そして、新潟が原発を引き受けてしまったのも、お金に目がくらんだわけではありません。米の消費量が減って農業で暮らせなくなったからです。年老いた親を見捨てることのできない心優しい人が、地元の原発で働いて、床にたまった放射能を含む水を手作業で拭き取るという、きわめて危険かつ原始的な作業に従事しています。日本の農産物は高いと文句を言い、ご飯を食べないでトーストを食べることが、原発とつながっていること、忘れないようにしたいですね。

 ライフスタイルを変えなくても、省エネ技術の導入で二酸化炭素の削減は可能だという主張もありますが、本当にそうでしょうか?排出量が増えている原因は、省エネ技術がないことなのでしょうか? ある問題を解決したいと思ったら、その問題の原因は何かを探って、原因を取り除く必要があります。そうするとやはり、ライフスタイルということに行き着くのではないでしょうか? 先ほどの新潟県の例でもわかるように、不況でもライフスタイルによってはエネルギー消費がかなりの規模で増大します。家族でそろってテレビを見ていたのが、それぞれの個室でテレビを見る生活に変われば、一家に一台から、一人に一台になりますし、エアコンだって各部屋に必要になります。技術によって何割か削減できても、台数が増えればどうにもなりません。風力発電を導入しますか?電力の需要がうなぎ登りであれば、建てても建てても追いつかないということにならないでしょうか。

 先日図書館に行きましたところ、中に入るとむっとしました。「省エネのため28度に設定しています」という張り紙がありました。今年の新潟の夏は、30度を超える日がまだほとんどありません。その日も、もう午後3時を回っていたので、外の気温は26度くらいの感じでした。旧高田城跡の公園の一角にある図書館ですから、お堀を渡ってくる風がとても気持ちがよいのです。だから、28度という張り紙を見て、暖めているのかと思ってしまいました。窓の開かない構造の建物ですし、日曜日でしたから人が大勢いて、エアコンがなければ30度を超えていたのかも知れません。でも、窓を開けて風を通すことができれば、冷房は要らないじゃないと思ったのです。もちろん図書館には大切な資料もありますから、単純な問題ではないでしょう。でも、家屋を断熱すれば、エネルギーは削減できるという話を聞くと、それは違うのではと、こういう例から考えてしまいます。

便利=幸福ですか?

 夕涼みという言葉をご存知でしょうか。「夏の夕方、戸外や縁側などに出て涼むこと」と辞書にあります。日本のように高温多湿の国で、窓を閉め切って家にこもって暮らすのはナンセンスです。ヨーロッパとは違うのです。本当に真剣に省エネを考えるのだったら、夕涼みの文化を取り戻すことではないでしょうか?

 そして暑い日中だって、外で思い切り汗を流したらよいのです(もちろん高齢者や病弱な方に配慮をするなということではありません)。食糧問題を考えても、これから日本で食料を生産することが必要になるでしょう。ということは、夏の農作業にみんなで従事しなければいけないのです。今から体を鍛えておきましょう。インドの夏の暑さは半端ではありませんでしたが、当時幼かった我が家の子どもたちは外で元気に遊んでいました。西瓜やキュウリをよく食べていました。瓜科の植物には身体を冷やす作用があります。そして暑いインドでは、びっくりするくらい大きなキュウリがいっぱいとれるのです。自然は本当にうまくできています。

 そうはいってもやはり暑い国でしたから、エアコンは使っていました。でもこれがすごい年代物で、たびたび故障していました。金曜日の2時半頃でしたが、修理をしてもらおうと電話をかけると、「もうすぐ午後のティータイムだし、ティータイムが終わってから修理に行っても5時までに直らないだろうから、月曜日にしましょう」と言うのです。「月曜日までには、土曜日も日曜日もあるし・・」と言うと、"Have a nice weekend!"と言って電話を切られてしまいました。日本では考えられないことですよね。でも、そうやって、ティータイムは休憩し、定時で仕事を終え、週末はもちろん休む。そういうことを、少しくらいの不自由さがあったとしても、お互いに認めあうことができる社会って、人にとって幸福な社会ではないかなと思うのです。

 日本人のように勤勉に働かないから豊かにならないのだとおっしゃいますか?でも、私たち日本人はどういう豊かさを手に入れていますか? 24時間営業のコンビニ、スーパーが至る所にできて、いつでも買い物に行けます。便利かも知れません。でも、夜間も仕事をしなければいけない人が増えました。最初に書いたように、エネルギーの消費が増大する原因にもなっています。便利な家電製品を増やしていけば、それだけ幸福になれると信じて、私たち日本人は頑張ってきました。でも、便利になった分、一人で何でもできるという錯覚に陥って、互いをいたわり合ったり、助け合ったりをしなくなり、孤独感に悩む人が増えているようです。

幸福をもたらす生き方とは?

 柏崎の原発は1985年に1号機が操業を開始したそうです。つい最近のことですよね。80年代前半は、もうすでに豊かな生活だったと私は思います。新潟の原発がなくても省エネ技術の導入を頑張らなくても(もちろん、やるなという意味ではないですよ、できる省エネはやったらよいです)、何の心配もいらないと私は思うのです。80年代前半私は学生でした。ちょうどそのころコンビニが出来始めていました。子どもがelevenという単語がなかなか覚えられなかったとき、「『セブンイレブン』で覚えたら良いよ」と、教えてあげました。「7時から11時まで営業しているという意味でつけられた店名だよ。お母さんが大学生の頃にそういうコンビニができて、11時まで店が開いているというのはすごい画期的なことだった」と言うと、「お母さんはいつの時代の人?」と聞かれてしまいました。

 大学を卒業して田舎町で教師をしましたが、そこではスーパーが6時半で閉店だったので、コンビニがあるおかげで、助かりました。たしかに、コンビニや夜間も営業するスーパーが女性の社会進出を助けた面はあります。でも、そのせいで残業が増えているかも知れません。

 「下流志向」(講談社)という本の中で、内田樹氏は「僕が子どものころ、父親は毎日同じ時間に同じ電車で帰ってきました。・・・だから、夕方雨が降ってくると、子どもたちは傘を持って駅まで父親を迎えに行ったわけです。」と書いています。子どもたちが迎えに行ける時間だからそんなに遅くはないはずです。一体いつ頃から父親は夕方に帰宅しなくなったのでしょうか。それはなぜでしょうか? 終電の時間がどんどん遅くなったのかも知れませんし、自動車で通勤できるようになって、時間を気にしなくても良くなったのかも知れません。でも、そういう便利さは人間を幸福にはしませんよね。

 今では24時間営業の店がたくさんあります。これは不必要な時間延長ではないでしょうか。80年代のように11時までで十分ではないでしょうか。8時閉店でも良いかなと私は思います。

 原発は危険だ止めろ!!と主張することはもちろん大切です。でも、その一方で遅くまで残業して、夜中に買い物をしていたら、電力需要を増大させて原発を後押ししているようなものです。急カーブを描いて電力消費量が減れば、原発が必要だと言えなくなるのだから、郊外への大型店の進出には反対して、できても利用しないとか、営業時間を短縮して下さいとお願いして、夜は買い物に行かないとか、自動販売機は利用しないとかできることはたくさんあると思いませんか。そして、夜買い物をしなくても良いように定時に退社できる仕組みを作っていくのです。そして、毎晩家族そろって夕食を囲むのです。労働者のこういう基本的な権利がないがしろにされていることこそ問題ですよ。そして、家族や近所の人と夕涼みでもすれば、これぞ究極の省エネでしょう。

 各自が好きなものを買ってきて、バラバラの時間に、一人で食事をするなんて、あまりにも寂しすぎます。それを前提とした省エネ技術の導入は、仮に省エネに成功したとしても、人間を幸せにはしません。だから、人間の幸福という観点から、私は定時に帰って、家族が夕食をともにすること。夕涼みをしながら団欒の時間をもつことを、これからの生き方として提案したいのです。


No.23  2007年3月17日発行

究極の省エネとは? 
 冬がないまま、春になるのかなと思っていたら、3月になって、今シーズン一番の積雪を記録しました。2月が暖かかった分、3月になってからの寒さはこたえました。
 寒いとぼやいていてもつまらないから、味噌を仕込みました。水につけておいた大豆2キロを茹でれば、部屋の中はそれなりに暖かくなります。ところが、換気扇を回しても、水蒸気がこもってくるので、最後は窓を開けて作業をしてしまいました。でも、ミンサーをくるくる回して大豆をすりつぶしていると、それほど寒さを感じません。結局、身体を動かすことが究極の省エネかもしれませんね。
 『不都合な真実』を書いたゴアさんが、「自宅では平均の20倍もの電気を使っていた」と、報道されていました。「偽善者」だと非難したいとは思いません。私も「偽善者」ですから。『不都合な真実』の映画はまだ見ていませんが、本は読みました。写真やグラフがあって、環境危機がますます深刻化していることが、非常によくわかります。何かしなければと思わせてくれるすぐれた本です。ゴアさんは良い仕事をしたと私は思います。お勧めの1冊です。でも、どういう対策があるかという話になると、「環境に優しいことはお金にもなる」や「効率改善による削減」などです。電気の使用量が多いことを批判された時には、「排出した分は、削減する事業に投資している」とか、「風力や太陽光などの新エネルギーを利用している」と反論しています。このことの背後には、自分たちが犠牲を払うような改革はやりたくない、むしろビジネス・チャンスになるようなうまい話が欲しいというような、思惑があるような気がします。
 しかし、省エネ技術が格段に進歩しても、家屋の気密化・断熱化が進んでも、CO2の排出量は増加の一途をたどっています。世帯数が増え、家電製品の数・使用頻度が増えているからです。一家に一台から一人に一台へと。部屋を暖めるのも石油ストーブではなく、エアコンを使うようになってきています。また、トウモロコシからエタノールを作って車を走らせようとすれば、トウモロコシの値段が高騰し、食糧問題も引き起こします。だから、技術の進歩を当てにしないで、自動車や家電製品の使用を控えるなど、どこかで限度を設けることが必要になっていると私は思います。「我慢・忍耐を強いることは共感されない」という声があるのは知っていますが、あえて私は、「使用量を減らす」ということを提案したいです。これは決して「我慢・忍耐」という暗い話ではないということも、お伝えしたいです。そしてまた、このことがガンジーの教育論と関わってきます。
 
体験に学ぶ
 赤ちゃんが歩き始めるときのことを思い出していただきたいのです。転んでも、転んでも、何度でも立ち上がって、歩こうとしますよね。私などとんでもない親だから、2人目のときは特に、「あまり早く歩かれると、目が離せなくて、かえって大変なんだけどな」と思いながら、見ていました。でも、赤ちゃんはとにかく歩きたくて仕方がないのですね。自由に動けるようになることが嬉しいみたいです。「やっても無駄だからやめておこう」とか、「そこまで努力しないといけないことなら、やーめた」などと、考える赤ちゃんはいません。
 ところが大きくなるにつれて、だんだん子どもたちはそのような否定的な考えに取り付かれます。そして大人も、「努力のいることはやりたくない」とか、「努力しないといけないのなら、誰もやってくれないよ」と言い出すのです。
 これはなぜでしょうか。一部のエリートと、大多数のエリートになれなかった人を生み出す今の教育にその原因があるような気がします。早い段階からできる子できない子に分けて、できないとレッテルをはられた子はあきらめることを強いられるのです。また、あきらめることが自己防衛にもなります。
 そして、便利・快適を手に入れることが人生の目標であれば、せっかく手に入れた楽な生活を手放すのは、文明の後退のような気がして、到底受け入れられない気分になるのかもしれません。人のために奉仕しようとか、自ら苦労を買って出ようなどという発想は、ここからは生まれません。
 ガンジーは、教育とは立身出世の切符を手に入れることではないと、手厳しく批判しています。「現在の初等教育システムは、生半可な知識を得るだけで、無駄であるばかりでなく有害です。最近私がマドラスなどで出会った学生や文化人は、知性が発達したというよりも、消失してしまった事例でした。心の面に関しては、野生の状態で訓練を受けないまま成長して行くのです。その結果は、モラルと霊性の欠如です。手足を使うことがなければ、我々の脳は衰えます。たとえ脳が働いたとしても、その場合それはサタンの住処となります。私たちは子ども達を、我々の文化、文明の、我が国の本物の叡智を真に体現する人に育てなければなりません。教育として行われる活動では、その意味を適切に理解し、義務に専念すること、奉仕の精神を持つことが必要です。最も重要な教育は、人格を鍛えることです」と彼は述べています。
 つまり、知識を詰め込むだけの教育を批判しているのです。人間には頭もあれば、手も足もあります。各自がそれをフルに使って、いろいろな体験をする中で得られる知識が本物だと彼は言うのです。そして、糸紡ぎなどを取り入れて、卒業後は職人としてひとり立ちできることを目指しました。村を復興する担い手を養成しようとしたのです。
 体験しないとわからないなと思うことが、私自身よくあります。例えば、「菜の花プロジェクト」というのがあって、休耕田で栽培した菜の花の収穫のお手伝いにいったことがありますが、一反の畑から約20リットルの油が得られるという話でした。廃食油でディーゼル車を動かす取り組みも始まっていて、関心を持っていたのですが、耕耘機やコンバインを使ったり、畑へ行くのに車を使ったり、収穫した菜種をトラックで運んだりすると、こういった諸々の作業で費やした石油に見合うだけの量の油も得られないのではないかと思ったものです。エネルギー問題を解決するには、代替エネルギーを探すよりも、エネルギーの使用量を減らすしかないのではと、感じました。
 また、炭の威力を見直した体験もあります。以前住んでいたところでは、炭焼きを仕事としている農家の方の畑を私は借りていました。引っ越す前に糸紡ぎを教えて欲しいと頼まれたので、2月の寒い時期でしたが、その農家の御宅で講習会をしました。玄関の上がり口に炭の入った火鉢が置いてあるだけで、部屋の中はとてもひんやりとしていました。でも不思議なことに、しばらくすると体のしんから温まってくるのです。とても気持ちがよかったです。その農家のおばさんも、「炭火はいいでしょう。とても他の暖房器具を使いたいとは思わない」と言っておられました。
 炭は暖かいだけでなく、薪にして燃やすとあっという間になくなる木材も、炭にすれば長持ちします。生活の知恵ですね。新しい技術を開発しようと躍起にならなくても、案外、ちょっと振り返ったところや、足元に解決策がありそうですね。
 
ある小学校の実践例 
 上越市立大手町小学校は、毎年5年生が『食糧その日』というユニークな取り組みを行っています。輸入がストップしたら、雪国では冬場は食糧生産できないから、自分たちで収穫した食糧だけで冬の4ヶ月を過ごすと仮定して、収穫量÷120÷人数で一人当たりの1日分を計算して、それで1日生活をしてみるということを行っているのです。子どもたちが初めて米と野菜作りに挑戦するわけですから、失敗もあり、食べられる量は微々たる量になります。
 収穫が減ればそれだけひもじい思いをするというのがわかっているので、子どもたちは真剣です。虫がつけば、農薬を使うべきかどうかを、また卵を産ませるために飼っていた鶏を、食べるべきかどうかを真剣に議論しています。空腹を抱えて、世界の飢餓問題に関するビデオを見ます。空腹の苦しみを実感していますから、自分のこととして問題をとらえることができます。そして、「自分たちにできることはないか」と問いかけ、「もっとできることがある、やってみよう」とつながっていきます。この取り組みが始まって20年、今では保護者を巻き込んで進化・発展しているそうです。
 鶏を飼おうとすると、鳥インフルエンザの問題で、難しいことがわかりました。ところが子どもたちは、卵を孵化させるところからやれば、問題をクリアできることを発見したのです。雛や鶏はすでに病気を持っている可能性がありますが、卵なら大丈夫ですから。しかし、ここまで調べてくる子どもたちのエネルギーは一体どこからくるのでしょうか。
 大手町小学校の研究紀要「人間力」には次のようにあります。「どの子どもも本来、学びたい、伸びたい、できるようになりたいと願う存在である。・・・子どもが『こうしたい』という願いを持ったとき、子どもは持っている力を総動員して問題解決に向かいます。そして粘り強く考えたり、工夫したりしながら活動に取り組みます。『こうしたい』という願いが、自分を取り巻く自然や他者のためであると、その願いはさらに広がっていきます」
 この研究紀要を読みながら、ガンジーが目指した教育が、こんな身近なところにあるではないかと、嬉しくなりました。研究紀要に載っている子どもたちの写真を見ますと、どの子も本当に活き活きとした表情をしています。作物やニワトリを育てることにも、調べ学習にもいろいろな苦労があったはずです。でも、何のために学ぶのかや、自分たちに何ができるかなど、つまり意義や使命感をつかんだとき、壁を乗り越えることは、苦しみというよりも、充実感を味わえる楽しいことに変わっているのではないでしょうか。
 赤ちゃんが何度転んでも、立ち上がって歩こうとするように、私たちは本来、最大限の努力をすることが、楽しい存在なのではないでしょうか。その自分の可能性に気づいたとき、私たちは本物の幸せを手にしていると言えるのではないでしょうか。
 だから、私は言いたいのです。「省エネに励みましょう。工夫しましょう」と。



No.22  2006年12月16日発行  
 今回は、「スロー・ラーニングの勧め」として、教育の問題を考えたいと思います。

「みんなと同じ」というプレッシャー
 女子高生のスカートが全国一短いのが新潟県だそうです。雪が降る中、ひざを真っ赤にして歩いています。ほぼ100%ミニスカートです。もっと長いスカートをはいて暖かくしたいと思っている人もいるはずと思うのですが、「みんなと同じ」が何よりも優先されているみたいです。
 大人の社会でもみんなに合わせてというプレッシャーは存在しますが、今の子どもの世界では、服装から遊ぶことまで、そのプレッシャーがかなり強く存在するようです。
 子どもの世界がすごく狭いせいかなと感じます。少子化が進んで、学級数も減り、出会う子どもの数も限られています。それなのに、1日の大半を学校で過ごし、勉強もスポーツも全て同じ学校の中でやっています。違う世代の人や、いろいろな職業、人生観を持っている人と出会うチャンスもありません。
 周りの目を気にして萎縮している子どもたちを見ますと、学校というのは、子どもたちを閉じ込める狭い檻ではないだろうか?と私はこのごろ感じるのです。ニワトリを狭いケージで飼うと、ストレスから互いをつつきあうので、くちばしを切っておくという話を聞いたことがありますが、それと同じことが子どもたちの世界で起きているような気がします。学校以外の逃げ場も必要ですし、学校ものびのびと自分らしさを発揮できる場であって欲しいと思います。それは決して不可能なことではないでしょう。なぜなら、江戸時代の子どもたちは本当にのびのびと生きていたのですから。

おおらかで成熟した江戸の文化
 「江戸の学び」(市川寛明・石山秀和著 河出書房新社)という本があります。そこに、寺子屋でおおらかに遊ぶ子どもたちの姿が紹介されています。遊び放題にさせていたら、学力が育たないと心配かもしれませんが、心配ご無用。江戸時代の庶民の教養レベルは相当高かったことが知られています。
 子どもたちは文字が読めないと遊べない双六やカルタで遊んでいました。「東海道中膝栗毛」などの、大衆向けの書物も多数出版されています。読者がいたということです。さらに、俳諧や川柳のように、師匠について「学び」そのものを楽しむ豊かな文化が成熟していました。また、百姓一揆を行った農民の代表者が書き記した文書には、「我とても命棄てたるこの上は、申し上げたき義も御座候」など、心を打つ名言が多数あるそうです。
 江戸時代の和算は、世界中の数学者を驚かせるような水準だったそうです。和算塾の弟子には、子どもも女性もいました。さらにもっと注目すべきことは、江戸時代の庶民が数学を楽しみの一つとしていた点です。おもちゃ絵というのがあるのですが、これは春夏秋冬の4枚の絵の背景に描き込まれた干支の絵柄が、彩色絵と墨絵に描き分けられており、その組み合わせを手がかりに相手の干支を言い当てて驚かすという趣向だったそうです。この遊びをするには、二進法の仕組みを知っている必要があります。「江戸時代に、庶民が二進法の原理を巧みに使いこなして、遊びの中に取り入れていた事実は、一見難解な数学を遊びにしてしまう洗練された文化が江戸時代に存在していたことを示すものとして注目される」と、この本にあります。
 ところが非常に残念なことに、明治維新によってこのようなのびのびとした庶民の文化も、寺子屋でのおおらかな教育も終わりを告げてしまいます。明治政府によって富国強兵政策が取られたからです。

身分制廃止と近代教育
 欧米列強の軍事的な圧力の中で、江戸幕府を倒した明治新政府にとって最優先の課題は、日本が欧米の植民地にならないようにすることでした。そのためには、強い軍隊を持たねばと考えました。江戸時代の身分社会では、戦うのは武士の仕事でした。「戦争になれば農民や町人は逃げ出してしまうだろう」それでは困ると考えた明治政府は、徴兵制を導入して国民皆兵を義務付けることにしました。農民や町人にも武器を手に戦ってもらうためには、これからは武士とか、農民といった身分による区別のない社会、平等な社会になるのだと言う必要がありました。身分に関係なく、「学校」に行けば、能力次第で高収入が得られる職業に就けるようになったのです。平等になったのだから、兵役の義務も平等に課すぞというわけです。そして、みんなが喜んで兵士になってくれるように、「修身」という国家に忠誠心を持ってもらうための科目も、義務教育に盛り込まれたのです。
 この結果、日本の教育は大きく変質しました。教育が立身出世の手段となりました。となると同じ条件で競って、優秀な人を採用する必要が出てきますので、教育内容が画一化し、試験制度が導入されました。学ぶことはもはや楽しむためではなく、試験に合格するためになってしまいました。さらに、幼い子どもは、動物的な存在であり、これを調教することによって一人前の人間に育て上げるのだという西洋の教育観まで取り入れてしまったのです。ですから体罰も容認されましたし、子どもたちの主体的な学びを重視するよりも、詰め込み教育が行われるようになっていったのです。「人格形成を重視する伝統的な寺子屋教育を遅れたものとして否定し、教え込み型の一斉教授法と試験制度を、先進的な教育として導入するところから出発した」(「江戸の学び」より)のが明治の教育でした。

道徳性の涵養
 寺子屋では体罰は、まず存在しませんでした。それは「文字の読み書き能力は、それ自体が学習の目的ではなく、それによってのみ可能な道徳的な自己の確立にこそ目的が置かれていた」(江戸の学びより)からです。「もし才学のみに心を用い、みづから誇り、人を侮るものは、読まざるときより心ざま悪しく、・・・善を行わざれば学問も無用の事なり。・・学問の道は常に善を行ひて、君子に至るを以って目当てとす」と寺子屋で用いられた「庭訓要語」にもあるとおり、「人格の完成」を目指した教育が行われていたのです。
 封建社会は、忠と孝とを根本的な道徳とする社会で、自己犠牲的な自らの利益を度外視した利他行為が推奨されていました。そして武士こそ、忠孝の価値観に最も忠実であるべきとされていたのです。ですから、おおむね質素な暮らしぶりでした。それに対して、商人は、守銭奴というイメージもありましたが、石田梅岩という人が登場し、不必要な利益を自ら放棄するように求めました。そのためには、強い道徳的な信念が必要で、それを養うために学問が必要とされたのです。立身出世が目的の教育観とは全く逆だったわけです。
 実際、江戸時代の社会は、不必要な金儲け、利益の追求とは無縁の社会でした。競争がないと、人間は頑張らなくなって、駄目になるということが言われますが、決してそんなことはありません。「道具と手仕事」(村松貞次郎著 岩波書店)という本に、江戸浮世絵の板屋(版木を削り整える職人)の仕事ぶりが紹介されています。「二人で削って一日十枚。軽い仕事だ。陽も高いのにさっさと仕事を終えて、銭湯に行ってノンビリと寄席へ。・・これで東京中の浮世絵版木の需要がまかなえる。・・やみくもに削っても版木が余るだけだ。職人のシステムの中で板屋の必要な生産量が決まっているのだ。もちろん手抜きも甘えも他職の手前少しも許されぬ。病気もできぬ理屈だ。悠々としてしかもきびしい職人の世界・・・目のあがった(視力が衰えて仕事ができぬ状態)摺り師は、もっぱら摺り用の馬連(ばれん)を作り、仲間がそれを買って使う、という互助の習慣のあることも聞いた」とあります。人の倍働いて、他の人の分まで仕事をして、自分は2倍の収入を確保してやろうなどと浅ましいことは考えていないのです。仕事量が増えれば、どうしても雑になって、仕事の質が落ちることを知っていたのでしょう。午後の早いうちに仕事を終えていたとしても、良い物を作らなければ、使ってもらえない、そういう厳しさはありました。
 今は、自分さえ儲かれば、人の仕事を奪っても構わないという人が増えましたし、そういう競争にさらされて、ゆとりのない社会になってしまいました。そして、その結果、安いけどすぐ壊れる物が増えて、気がついたらごみの山です。江戸時代に学びを楽しむゆとりがあったのは、物を必要以上に作らないスローな社会だったからのようです。スローライフを実現するには、近代教育からプラグをぬいて、寺子屋で行われていたような、主体的なスローラーニングをもう一度取り戻すことではないでしょうか。
   (次回は、西洋の近代教育を否定し、新しい教育を提唱したガンジーの教育観を紹介します。)



No.21  2006年8月31日発行

  うだるような暑さが続いていましたが、ここにきて少し涼しくなって、ほっとしているところです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。今年は長梅雨だったために、綿も他の野菜も本来なら7月にぐんぐん伸びるところが、あまり成長できず大きくなれませんでした。晴耕雨読といえば聞こえはいいですが、「今日も雨だラッキー、畑に行かない言い訳ができた。本が読める」と、怠惰になってしまい、いつの間にか作物は草の中となってしまった影響も大きかったです。天気が悪くても、雑草はよく育ちますね。
 それでも、最近はオクラがたくさん取れますし、綿もコットンボールを次々につけています。ありがたいことです。そしてついに、8月30日に今年初めての綿を収穫することができました。今年も種を守ることができました。台風10号の影響でフェーン現象が続いた数日は、人間にとっては大変でも、植物には良かったみたいです。それでも作物が例年より小さいため、いまだにほうっておくと、草の方が作物をしのいでしまうので、相変わらず草取りに追われています。例年なら、作物が大きくなったお陰で、草取りも一段落だったのですが・・・
 
切られても芽を出す。 
 暑いこの季節はモロヘイヤをよく食べますが、切っても切っても、新しい枝葉がどんどん出てくるので、尽きることがありません。本当にありがたいことです。綿も同じで、成長を止めて実をつけさせるために、先端を摘む摘芯という作業を行います。先端を摘むと、脇芽から分枝が多く発生し、その枝に実をつけるので、摘芯しないよりも多くの実をつけさせることができるのです。こういうところに植物の偉大さを感じます。やられたらやり返したいと思ってしまう私たちですが、植物は伸長を止められても「仕返しだ」と言って毒を出したりはしません。全てのエネルギーを新しい枝を出し、花を咲かせ、実をつけることに注ぎます。
 私たちもこのように、悪に善で報いことができればどんなに良いでしょう。というか、植物は自分の本分に徹しているだけなのでしょう。周囲の状況や、自分が受けた被害に囚われないで、やるべきことをやっていれだけなのでしょう。そして、そのことが、被害を受けなかった場合よりも、つまり、摘芯しなかった場合よりも、多くの実をつける結果になっています。
 世の中の出来事に腹が立ってしまうことはたくさんありますが、私たちも腹を立てるエネルギーをもっともっと建設的なことに使えば、きっと多くの実をつけることができ、ふと気がつけば、素敵な世の中が実現していたということになるのかもしれません。

善意の種をまく
 腹を立てるよりも、もっと建設的なことをと書きましたが、これは反対運動がいけないという意味ではありません。反対運動をするのであれば善意を動機にした反対運動をしたいと思うのです。私は今、「上越九条の会」に関わっていますが、九条を守るということはつまり、九条を変えることに反対する運動であるわけです。ですから私も反対運動に関わっています。その中で、9条に関するいろいろな議論に接する機会があるのですが、九条を守りたいという人たちも自分の正しさを主張することに一生懸命で、どうも議論が噛み合っていないような印象を受けます。自分たちが正しいということは、あなたたちは間違っていると言っているわけで、言われた方は気分が良くないですよね。
 ガンジーは、経済的平等のために富裕層の富を力づくで取り上げるのは良くないとして、次のように語っています。「私にとって最も重要な試金石は非暴力です。私たちだってかつては、富者と同じ立場にいたということをいつも忘れてはなりません。・・・自分たちについて辛抱してきたように、それ以上に他の人について忍耐強くあるべきです。もっと言えば、私が正しくて、彼が間違っていると考える権利は、私にはありません。彼が私のようなものの見方をするようになるまで、私は待つ必要があるのです。・・・今日私が暴力を用いれば、間違いなく、さらに大きな暴力に直面することになります。非暴力を規範とすれば、人生は妥協の連続となるのが常です。しかし、果てしなく衝突が続くのよりは、よいことです」
 腹が立つようなことを言われても、なるほどと受け止め、相手の心に届く言葉を投げ返すことができたら、素敵な対話が実現するかもしれません。植物が切られても新しい芽を出し、私たちに惜しみなく与えてくれるように、私たちもたとえ悪意に出会っても、善意を惜しみなく与え続けることができれば、そのような種を撒き続けることさえできれば、きっとそれは波紋のように周囲に広がり、善意の芽があちこちに顔を出すことでしょう。

非暴力の備え
 「備えあれば憂いなし」ということがよく言われ、だから武装しなければならないという主張があり、他方で、どこかの国が日本を攻めてくることなどまずありえないから、備えの必要はないという主張があります。でも私は、「非暴力の備え」をしようということを言いたいです。誰も未来を予測することはできません。また、過去の歴史を振り返っても、インドは英国の植民地にされました。ナチスが、ヨーロッパの国々を侵略しました。日本もアジア諸国に攻め入りましたし、冷静に考えれば無謀でしかない真珠湾攻撃までしでかしました。似たような歴史が繰り返されないとは限りません。
 しかし、そのような侵略行為に対してどう対抗すべきかについても、私たちは過去の歴史から学ぶことができます。暴力に暴力で対抗した場合どうなったでしょうか。非暴力の実践は無力だったのでしょうか。暴力で対抗した場合、それは暴力の連鎖でしかありませんでしたし、ロシア革命やフランス革命のように、古い体制を覆すのに暴力を用いた例では、その後は必ずと言えるほど恐怖政治が行われています。さらには、世界中で軍隊に殺された2億人のうち、1億3千万人が自国の軍隊によって殺されているというデータすら存在します。他方、非暴力で闘ったインドは民主国家になりました。また、ナチスに侵略されたデンマークでは、全国規模のストライキで軍事物資の生産や輸送を妨げ、武力闘争以上の打撃を侵略軍に与えましたし、ユダヤ人の犠牲者も最小に抑えることができました。
 統率が取れ全国民的参加が得られれば大きな力を発揮するのが非暴力の抵抗なのです。しかしそのためには、国民が非暴力の有効性を認識し、忍耐強く、時には犠牲を耐え忍ぶ覚悟も必要です。ですから、そのための学習・訓練などの備えをしておかなければできることではありません。でもそれこそ、犠牲を最小限に抑える道であり、よりよき未来につながる道ではないでしょうか。だから私は、そのような「非暴力の備え」について真剣に議論すべきではないかと思うのです。

お奨め図書 
 「愛する人が襲われたら」 ――非暴力平和主義の回答―― 
      ジョン・ハワード・ヨーダー著 新教出版社

 戸締り論を主張する方があります。強盗に襲われないようにと個人が家に鍵をかけるように、国にも自衛権があるのではないかというわけです。しかし、個人が暴漢に襲われて相手を攻撃する場合、攻撃の対象は暴漢に限られ、無実の傍観者を傷つけるかもしれないような、重大な危険をおかすことはありません。まして攻撃者の家にまで出かけて行って、その家族を傷つけることはほとんど考えられないでしょう。しかし、国の場合は、見境もなく、別の出会い方をしていたら友人になれたかもしれない人を殺す事を強要されてしまいます。そのような暴力の巧妙な正当化、論理のすり替えを私たちは見ぬかねばならないという事が書いてあります。
 「隣国が将来自国を攻撃するかもしれないということを根拠にして、他人の国に踏み込んで行ったりすれば、これを個人的なレベルに移すならば、ある男の隣人からいつか攻撃されるかもしれないことを恐れ、そのためにその男の家に押し入って彼の妻に襲いかかった、というようなものです」

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No.20  2006年4月19日発行

 今年は積雪が多く、山沿いの雪の多い地域では農作業の開始に遅れが出ているようです。それでも上越市中心部の高田公園の桜も咲き、春が来たなとうれしくなります。
 もうすぐ種まきの季節です。綿の種、今年も無料配布しています。(送料だけは負担してくださいね)

克雪vs冬支度
 この冬は雪の降り始めが早かったので、雪がとけて自転車に乗れるようになったときは、とてもうれしかったです。夫が自転車で通勤できない冬は、自動車通勤となります。そうなると我が家は自動車が一台なので、私は歩くかバスに乗らないとどこにも出かけられません。バスの本数もそれほどないので、出かけることを諦めることも多かったです。どうしても必要なときには、夫に徒歩通勤をお願いしたこともありましたが・・・そういう不自由をしただけに、春の到来がうれしいです。雪国に暮らしていなければ、自転車に乗れたり、自由に移動できることがとてもありがたいことだと、気づくこともなかったでしょう。喜びや感動を味わうためにも、苦労は必要なのかもしれません。
 この冬の豪雪では、津南町のある地域が孤立したことがニュースになりましたが、地元の新聞に興味深い投書が載っていました。90代の方でしたが、「昔は雪が降れば村が孤立するのは当たり前だった。だから、それなりの備え、冬支度をしていた」という内容でした。漬物などの保存食をつくり、暖房用の薪や炭などを用意していたのでしょう。そしてひっそりと暮らしながら雪解けを待つのが、雪国の暮らしだったのでしょう。
 毎日漬物が続く生活にはどうにか耐えられても、人に会わずに家にこもって暮らすことは、今の自分には耐えられないなというのが、この投書を読んだときの正直な感想でした。でもまた一方で、除雪車、消雪パイプがフル稼働の今の雪国の暮らしを、この先何十年も続けていくことも、無理ではなかろうかという気もするのです。地下水をくみ上げれば地盤沈下が起こりますし、石油だって無限にあるわけではありませんし、自動車の排気ガスによる大気汚染、地球温暖化だって深刻な問題です。人が歩くだけなら、雪を踏み固めればすむところを、自動車が通れるようにするためには、幅広い車道から雪を完全に取り除く必要があります。荷台に雪を積んで、河川などの雪捨て場に向かうトラックの行列もよく見かけました。春が来れば自然に消えてなくなる雪を捨てるためだけに、トラックが何台も何往復もする光景を見ますと、ガソリンの無駄使いではなかろうか。雪だって、雪室など冷蔵保存のために利用できるのに・・もったいないなと思ってしまいます。除雪費用も過去最高を更新したようです。
 
道路の確保より大切なこと
 このようなことを書きますと、道路が確保できなければ雪かきのボランティアも派遣できない。急病人が出たらどうする?という意見が聞こえてきそうです。
 ガンジーは、自動車、電車などはなくても構わないという考えでした。人間は空を飛ぶことも、速く走ることもできません。手足を使ってできることをやるようにと、神が人間を作られているからだと、ガンジーは考えていました。だから、歩いて行ける範囲で全てがまかなえるようにしようとしたのです。急病人のための道路確保をと考える前に、どんな小さな村にも医師がいる社会を実現することにこそ、労力を使う必要がありはしないでしょうか。また、病気の予防・健康管理の術を身につけることも大切です。(ガンジーは「健康について」という文書も書いています。非常に興味深い記述がありますが、それについてはまた後日取り上げることにしましょう)小さな村が、村単位で食糧も衣類も、そして医療についても自立していく、そのことがガンジーが目指した自治・独立だったのです。
 グローバル化のこの時代にあって、ガンジーの考えは遅れていることでしょうか。
 昭和56年の